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漫画家になれる奴って漫画を描くのに適した描き方を身につけてると思うんだよ。
で、漫画家と言うからには当然プロですよね。
アマとプロで何が違うかといえば制作にかけられる時間だと思うんです。
そこでどんなトレーニングをさせれば漫画家の能力が鍛えられるかを考えた。
「3分で木を5本描いてください」ってどうですか?
絶妙な時間配分が鍛えられそうなトレーニングです。
3本だと勝手に1分1本と決めてしまうので配分を鍛えられないし、
1分1本ってかなり時間に余裕があるでしょ。
かといって3分で10本とかにしてしまうと完全にクオリティを捨てた絵になりそう。
漫画というからにはやはり絵のクオリティは捨てられないわけで、
時間配分によっていかにこの速度とクオリティのバランスを取るかを鍛えたい。
1本36秒という絶妙なバランスにより、そこそこクオリティにもこだわれ、
なおかつ休憩している余裕はないというまさに訓練的バランス。
3分全く休憩することなく絵を描き続けるってのは意外と疲れるし、
何より重要なのは3分経ったら5つも絵が完成しているという達成感だ。
また、1つ目のまだシステムに慣れてない絵と5つ目の慣れた絵とで比較もできる。
そして出来上がった木は私が評価・アドバイスするんだ。
これこそがこのトレーニングの1番大切な部分である。
絵の上手い人に評価してもらってこそ伸びるわけだが、絵が上手い人間というのは、
往々にして評価はできてもあまり人を育てようという意識はないのである。
私を満足させることができる頃には、それはもう才能を持った絵描きが生まれている。
…木だけが物凄く上手くなりそうですね、木だけが。
もちろん描くものと時間設定はその時々で変えていけばいいんだ。
そして慣れてきたら同じ木を描いてはいけないなどレベルを上げていく。
ここで私は気付いた。
別に漫画じゃなくても時間管理はしなければならないのではないか。
私が勝手に絵にはいくらでも時間をかけていいと思っているだけなのではないか。
私こそがこのトレーニングをするべきだったのだ…
やりませんけどね、私はずっと素人でいるつもりなので。
私の世界では絵にはいくら時間をかけてもいいのです。
特に意味のないものっていうのは故意に作れるのかな?
例えばそれをこのブログで成立させようとしたら、ボクは何をすればいい?
ボクとこのブログになら、多分それはできる。
まず書きたいことを何でもいいから決めよう。
本当に何でもいいんだから、適当に決めた方が意味がなくて良いね。
そしてそれをその日から遠い昔の枠に書こう。
その日思ったことをその日の記事に書いてしまうと意味が発生してしまう。
だからその日でもその周辺でもなくもっと遠く、さらに過去の記事にしてしまうのが良い。
まだ本人が思ってもいない段階でその記事が出来上がっていることになる。
当然それを理解するのは私自身ではなく、それを読む読者である。
しかしこの記事を知った上でその記事を読んでも思考が共有されているので、
ここまでこの記事で語ってきたような意味をその記事は持ってしまうことになる。
つまり無意味なものを故意に作り上げるために書かれたという確かな意味だ。
だからそこからさらに月日が経つ必要があり、
さらにまったく新しい読者が現れる必要もある。
この記事はその日のための証拠だ。
私自身には特に意味のないものを故意に作るという意味をなくすことができない。
この記事を知らない新たな読者とこの記事を読んだあなた達が共に存在する時、
私の作り上げた特に意味のない記事は成立する。
その日思う余地すらない適当な記事なのだから当然特に意味は無い。
それを故意に作り上げたという証拠はここにあり、あなた達が証人だ。
そして私が作ったその意味のない記事を新たな読者が読んだ時、
その読者がこの記事を知るまでの間は間違いなく意味のない記事が存在していると言える。
今からその記事を書くために過去にいってくるが、それがどの記事なのかは教えない。
そうすれば達成率が多少上がるからね…
悪いが私は既に、特に意味のない記事を作るので忙しいんだ。
帰ってくれないか。
僕が描く絵ってほぼ美男美女しかいないじゃん。
でもたまに普通にそれ以外も描いたりするじゃん。
つまり描けるのにあえて描いてないわけなんだけど、なぜ美男美女にこだわるのか。
2つの観点から説明を付けてみることにしたというのが今回の記事。
まず1つ目。
美男美女とそうでもない奴らの違いとは何かということなんだけれども。
美男美女っていうのは簡潔に言うと、狙わないと描けないものなわけだ。
洗練された形というのかな。
作者も美男美女にしようと思い、そこに技術が伴ったときに初めて描くことができる。
それまではどう頑張っても中途半端なフツメン以下が出来上がる。
つまり、ある種の技術力の証明というか、確認だと言えるのではないだろうか。
描こうと思ったものが本当に描けているかどうかパッと見で判断できるでしょ。
これが一般的な解釈。
ということは2つ目は一般的ではない解釈になってしまうのかもしれないが。
少々特殊な発想だけれども、みんなにもこれは描けるんだというメッセージである説。
ここはもう美男美女というものを人間でいうところの洗練された形ということにしよう。
考えてみると洗練された形というのは、ある程度技術が伴えば誰にでも模倣が可能なんだ。
技術というのは自身の能力の向上のほか、適した道具の発見や手法の開発も含む。
どんな手を使おうが、同じ手法でなくとも再現できるなら描けると言って差し支えない。
つまり、最終的には下手な円より真円の方が簡単に再現可能ということだ。
コンパスという発明があったおかげで、ちょっとだけ歪んだ円よりもはるかに描き易い。
これは洗練された形であるが故だ。
無駄な歪みを省いていけば、いずれ僕の絵程度のものなど誰にでも描けるようになる。
まあ言ってしまえば僕なんかは絵に対して特殊な形状や構造など何も使っておらず、
丁寧に細かく描き込んでいるだけなのでそんなに難しい物を描いているとも思ってないが。
これが中途半端に下手だったらと考えると、やっぱり逆に再現は難しいと思う。
そういう意味でこれからまだ伸ばそうとは思うが、ある種の完成は迎えたのだ僕の絵は。
そして今書いていて思ったが、つまり洗練された形というのは上手さを感じさせつつも、
誰にでも真似することのできるドラえもんのようなもののことを言うのか…
なんか漫画界の大御所達が本当に神様のように思えてきたな。
僕決めました。
洗練された形を目指して美男美女を描くのはやめます。
だって、誰にも真似できないから上手いんだろ?
誰にも真似させてたまるかああアアアッ!!
人間の興味というものは常に移り変わっていくから、
たとえ一時期に極端に何かに没頭することがあったとしても、
他にそういう対象を見つけてしまえば急に投げ出したりするものだよね。
それに比べて趣味と胸を張って言えるものは、
少々新しい興味が湧いたくらいでは投げ出してしまうことはできない。
いつまでたっても続けていられるし、少しでも時間が取れればそれをやろうとしていて、
一過性の極端な熱意なんかとは比べ物にならないある種重厚な興味と言える。
そんなものを持つことができるのかと思っている段階で足踏みをしている人は多くて、
そういう人にとっては僕みたいな人は割と羨ましい存在らしいんだよね。
ゲームをしようが漫画を読もうが動画を見ようが仕事をしようが寝ようが記事を書こうが、
それはそれとして絵を描きたい自分が常に居るじゃないですか。
今現在で常に居ると感じている部分もあるし、今後も常に居続けるという感じもして、
しかも今まで別にそうありたいと思ったことはないし、これからもないと思う。
結局のところ、真理に近い部分で言うとなんとなくやってしまうというのが、
本当にその人が好きな物事なんだろうなということを私は言いたい。
なんとなく絵を描いてしまうから私の趣味は多分絵を描くことなんだろうし、
なんとなく一緒に居たいと思える人が多分自分が本当に好きな人なんだろうよ。
ただしいくら思っていてもそれを実行できていない場合、
結局それはただの妄想とか思い込みの類でしかないのかもしれない。
絵を描きたくて仕方なくて口では描きたい描きたいと言ってても、
実際には1枚も描いてないんだとしたらそれは絵が描きたいんじゃなくて、
「絵を描きたい」と言いたかっただけだと思うよ。
絵なんて別に上手くないといけない決まりなんてどこにもないし、
いつでもどこでも最悪数分あれば“何か”は描けるはずだしね。
ある特定のものを対象として描きたいと思っているんだとしたら、
それも絵が趣味とは言い辛いものがあるといえるね。
絵を描くことそのものに興味があるなら与えられた環境で描けるものを探すし、
別に作業時間がまとまって確保できなくても鉛筆とかなら関係ないしね。
だいたい絵なんて1回目で上手く描けない方が面白いし、
むしろそのほうが良いんじゃないかと思ってる。
1回描いた絵を2回目描いた時の自分の技術力の上達に対する感動は、
絵を描くという行為の中でもかなり上位の満足感を与えてくれる。
そもそもの話、自分の絵が上達したかどうかを計る場合に、
最初描いた絵とまったく違うものを描いて比べたとして、
上手くなってるかどうかそこまで正確にわかるんだろうか?
むしろまったく違うものとなれば今まで描いたことがないものになる可能性もあるし、
最初描いた絵よりクオリティが下がってしまう可能性だってあるわけだ。
でもなんとなくやってしまうという段階に来ている人にはそんなのはどうだっていいことで、
だからこそ絵の上手い人は上達法を詳しく説明することができない。
私は絵を趣味とするものとして宣言するが、絵を描くのに必要なものはおそらく二つ、
一度見ただけでより多くの情報を得るための目と、それを記憶する能力だ。
犬の絵を描きたいから犬の写真を調べて犬の骨格や筋肉の作りを理解したとして、
次猫の絵を描くことにしたときにその時の犬の情報をちゃんと覚えていますか?
そしてその次に狐の絵を描くことにしたときに犬や猫のことを覚えていたとして、
それを繰り返していけば平均値取ってドラゴンの体だって描けると思わない?
もうその時点でドラゴンを描くのに必要なものは想像力ではなく、
記憶力とその応用ってことがわかるよね。
まあなんとなくやってしまうレベルに到達した人ならワケないよね、
記事の途中でこの程度の語りを入れるくらいのことはさ。
「なんとなく」とか言って蔑にしているように感じられるかもしれないが、
「なんとなく」になるためには元々そうだったか、物凄い努力をする必要があるわけだ。
自分の趣味を探している人へ、まずは今なんとなくやってしまうことを探してみてください。
なあ、お前昨日の晩御飯ってさあ…
どう食べた?
なんで昨日の飯を思い出す時って「何を食べたか」程度のレベルなんだろうな。
そしてなんでその程度のことを思い出すのに結構苦労するんだろうな。
どうやって食べたかまで正確に覚えてるような奴っているんだろうか?
これはちょっと考えただけでも難しいことだとわかる。
何が難しいって再現性がないから入力が本当に1度しかない。
例えばこれが景色なら、同じ場所に行けばほぼ同じものを見ることができる。
でもどうやって食べるかなんてその時の気分でも変わるし、食べたものはなくなってしまう。
つまりこれはわりとやればできそうでいて、超人クラスの能力者にしか不可能なことだ。
…と思ったのだが、実際のところどうなんだろうか。
とりあえず1日(3食)分くらいなら頑張ればなんとかいけそうじゃないか?
自分の飯の食べ方を覚えて記憶力を上げようというトレーニング。
なんか地味に効果ありそうな気がするねぃ!
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