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虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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53番目の季節だ。

実際にはそんなものはないのだが、虚言の季節では季節がいっぱいあります。

初心に帰って基礎的な部分の説明をしてみたりして。

しかしおかしなもので、よくよく考えてみると去年の冬と今年の冬は違うだろ?

でも冬は冬だということで同じものだということにされていると考える。

そうなったときに、これは嘘でも1つ1つの季節を尊重して、
これらはまったく別の異なったものなんだという認識をするほうが、
人間として優しい感じがあふれているんではないかと思います。

だってそうでしょう。

文句も言わずに53番目まできてくれたこの季節たちに、
私が優しくしてあげなくて誰が優しくしてあげるというのか。

ということで、53番目の季節は優しいのです。

というか、53番目の季節に優しいのです、私が。

794ウグイス平安京だろうが500年後くらいだろうが冬は冬という人たちよりも、
私は今年の冬は2014年の冬、この季節は53番目の季節と認識する人間になる。

その方が今を生きる人間として真っ当じゃないかね。

私に寿命がある以上は、この季節はいずれ終わる。

実際の季節は私が死んでも終わらないが、私の命または心が尽きることによって、
この季節はいついかなるときでも突然終わってしまう可能性がある。

早く跡継ぎを見つけなくては…

私を更新してくれる新たな宿主を…

えー、自分のブログと親和性が上がりすぎて憑依されてしまうという厨二ネタです。

右腕が痛んだりはしません。

こう見えても年齢を重ねたことで中二病を多角的に扱うことができるのだ私は。

この記事1つ取っても自分が後で読み返して死にたくなるレベルのものだが、
私は自分が書いた記事ですら他の性格になりきることで他人のものと認識できる。

そうやって見た景色はやはり自分を自分と認識しているときのものとは少し違った。

その変化の度合いを50記事分寄せ集めて解析してみると、
なるほどどれ一つとしてまったく同じ季節などないんだなと理解できる。

意外な流れで虚節における季節の定義を決めることができた。

今決めたんですか!?

今はもう終わった、さっき決めたのだ。

そして数年後にはしっかりと過去に決めたということになっている。

今を生きるというのはそういうことなのだ。

53番目の季節を、生きる!

※本人はうまくまとめたつもりなので、もう放っておいてください。

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気付けばいつでもそうだった。

そして、誰しもがそうである。

ごくありふれた道とは、どこにでも存在する道である。

特別な道とは、同じくどこにでも存在する道である。

僕の道もあなたの道も、どこにでも存在していると同時に特別なものだった。

僕らの通ったこの道は、決して後戻りすることはできないものであると同時に、
自分自身でない限り前に進むことすら許されてはいない。

僕の道を僕の道だと認識しているのは僕だけであり、
つまりそこを通ることができるのも同様に僕だけだったのである。

自分の通ってきた道をまったく別の方向から見るとどう見えるだろうか。

例えばこんな話はどうだろうか。

暗い洞窟をずっと進んできたんだ。

とても暗い洞窟だったが、目の前には光が見えていたのでそこに出口があることはわかった。

とても狭い洞窟だったが、不思議と導かれるように先へ進むことができた。

やがて出口に辿り着きふと目の前を見ると、もう目の前に道はなかったが、
向こう岸まで飛び移るためのロープが垂れ下がっている。

それを掴んで向こう岸まで辿り着くことができたんだ。

その岸からは数人の人達がさっきからこっちを見ていた。

みんなは何を見ていたんだろうと思って振返ってみると理解できた。

彼らの進むべき道は僕がやってきた道だということ、
そしてそれは僕の歩んできた道とは比べ物にならないほど厳しいものだということに。

僕がやってきた場所は鋭くとがった岩肌にたった一つ空いた小さな穴だった。

そこへ渡るには、僕がさっき使ったロープしかない。

…そういうことがいついかなる時も世界各地でありふれているのだ。

だから僕らの道はどこにでもあって、ここにしかないわけ。

誰かの敷いたレールだと思って見てるのはさっき向こう岸に居た人達であり、
そいつらが何を言おうがお前から見れば立派なお前の道だろう。

お前はお前の道を往け。

ちなみに拾人の道は時と場合によって後戻りもできます、万能だね。

私は怒りが形になって表れてしまう系男子。


まあ本当に形になってはいないわけですが。


素直に表情が変わってしまうくらいの方がまだ可愛い。


俺の場合は殺気が目に見えて出てしまう。


まあ俺には見えないんだけど、実際何か出てるのは自分でも感じる。


さらに周囲の反応が明らかに殺気出してる人向けのものになってる。


アレはなんとかならないのかと自分でも思うわけです。


ただ、思考の精度が高すぎて自分ではどうしようもないんですよね。


うわーなんか出てるし、せめて表情だけでも平静を装っておかないととか思ってる。


なんか出てるのがそこですぐ止められたらいいんだけどそれが一番無理。


もはや自分の意識の外に出てしまっているわけです。


ただ、その時点でも体は自分の言うことを聞くわけですから、決して手は出さないと。


これが逆に怖いという声もありますけどね。


さてなぜ怖いのか、それは誰が対象になるかわからないからではないかな?


例えば特定の個人に対して既に怒りをぶつけていたり、独りで叫んでたりすると、
周りは意外と気にせずに済んだりするものです。


俺には関係ないや的な感じで。


ところが時限爆弾のようにエネルギーを溜め込んだ状態で放置されていると、
いつとばっちりを受けてしまうかということで周りは緊張しなければならない。


実際には両者の間に明確な区別なんてないんだけれども、
気持ちの上ではなんかそういう違いがあるような気がしがち。


だから私は殺気を抑える技を身につけたいです。


ハッキリさせておくけど、出したくて出してるわけじゃないからね。


出したい時に出せる分はまだいいけどさ。


そういう時であっても必要以上に出すぎたら困るしな。


なんで困るかと言うと、おそらく一番ストレスを受けているのが自分自身だから。


出したい量と出てる量がほぼ等しい時はほぼストレスは発散されてる状態。


そこから少しでも出すぎるたびに加速度的に自分が受けるストレスの方が増大していく。


自分の怒りで自分を傷つけているような状態。


まあそりゃね、物理的にも物殴ったら自分の手も怪我しますしね。


精神的な部分でも同じことが言えるというわけか。


なんで困るかって、上司に怒られたときに出てしまったらどうするよ?


せめて態度では物凄く反省して心の中で罵詈雑言を浴びせる場面だろそこは。


直接ではないとはいえ、その思いが相手に伝わってたらいずれ大変なことになるよ。


ちょっとまずいかなと思った時はすぐに現場に出ていくようにしている。


場所を移すというのは結構効果高かったりするね。


まあそんな小手先の対策なんかどうでもいいんだけどね。


殺気体質改善法、知ってる方教えてください。

正当な評価とは何か?


褒められても嬉しがらない人種っているじゃん、あのなんかすげぇウザい奴。


それ俺ーーーッ!!


なんでこんなに嬉しくないんだろうなとか思ってしまう。


ニヤけるくらいはするけどね。


…気持ち悪いわ。


まあそれも人間社会で生きるために出てるだけのニヤケかもしれませんけどね。


でもだいたいの人間が心の奥底ではそういう感情を持ってると思うんだわ。


要するに、「褒めてほしい人から褒められたい欲」的なものをね。


この人から褒められたら自分頑張ったなって実感できるわみたいな人がいるでしょ?


仮に人から褒められたくて何かをやってる人がいるとしてもだ、
その人がそういう目標を持っているとしたらやっぱり他の人は対象外になると思う。


まあ、だから君たちが僕を褒めたところで僕は嬉しくなんかないんだ。


いやホントに、全然嬉しくなんかないんだからねッ!!


自分が正当に評価されていないと信じ込んでいる人間は愚かである。


なぜならば、人間は常に自らの行動によって評価されているからである。


評価されたりない物を持っているとしても、それをしかるべきところに見せていないのなら、
それは最初から持っていないのと同じなのである。


だから私はそういった感情は捨てた。


確かにこのレベルの人から評価されたら嬉しいという基準はあるが、
それ以外の人達については嬉しくないとかそういう話ではなく、そもそも評価自体必要としない。


私の耳に届かない範囲であーだこーだと言って欲しい。


だって褒められても嬉しくないのにけなされたら相当むかつくからね。


つまり私にとって評価による影響は常にほぼマイナスしかないということだよ。


せめてゼロであってくれと願っております。


別に最近誰かに褒められたわけでもないのに一人で勝手にこんなことを話している。


この人はそこそこ危ないのではないか。

たまに物凄く変な動きがしたくなることは無いですか?


まあ俺は無いんだけど(爆)、滅茶苦茶力を入れたくなる時はある。


結果変な動きになる的な。


誰かに見られない範囲でやる分にはまあ何も問題ないけどね。


見られたとしても頭の掃除と言い張っておけば哲学的な要素を感じ取ってもらえるかもね。


そんな要素が存在しているわけはないのだけれども。


まあ、本題はあくまでも不必要に力を入れたくなるという部分。


パワーはあり余ることもあるのだろうか。


老廃物と同じで適度に発散させないと体に悪影響を及ぼすとでも?


まあでも、貧弱な奴はこんなことを思ったりはしないんだろうな。


入れる力がないわけだからね。


ほら、性欲を持て余していない人間は自慰をしないじゃないですか。


でも今日はね、一番多くの人に共感してもらえる例えを思いついたんですよ。


ほら、定期的に指の骨をバキって鳴らしたくなるでしょ。


まさにこれという例えじゃないですかコレ。


ちな俺は片手で鳴らせます。


片手どころか慣れてからは小指一本とかでも鳴らせるようになった。


しかもこの指パキ、片手と両手でどうも扱いが違うらしい。


両手でバキッとやるとそれ1回で終わりだけど、片手だと何回でも鳴らせる。


この辺は人体に詳しい人なら解説できるんでしょうかね。


俺は言うまでもなく詳しくないからわからないけど、そういう違いがあることは知っている。


なぜなら片手で鳴らせるから(ドヤァ


ちな俺はとかいう言い出しで「あくまでもついでですよ」と思わせておきながらコイツ、
まさか本当に言いたかったことはこれか?


えー、これです。


っていうことにしといた方が自然に終われそうなんだが…


やるか。


やろう。


そういうことになった。

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