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そもそも法則というのは必ずしも100%でなければならないのだろうか?
でなければならないからこそ法則という名称が用意されているのだろうね。
でもそのせいで、例えば「ゆるめの法則」ということにしておきましょうと提案したときに、
法則という言葉の持つ絶対性がゆるめのという部分を完全に打ち消してしまっている。
これはもはや、全く別の言葉を用意しなければならないのではないか。
だが町を見渡してみると、意外と法則でも何でもないことを法則と言っていたりした。
法則というのは必ず100%でなければならないのではないのか?
今自分の立場が非常に曖昧になっていることを痛感しております。
そこで虚節ルールを制定し、虚節における法則とは絶対ではないと定義しておきたい。
これでなんか法則性がありそうだな程度のことにも法則と名付けてしまえるようになった。
まあ大したことではないので絶対この記事を読んでくださいみたいな感じじゃなくて、
なんか言われたときにこんな設定がありますということで持ってこれる程度の位置づけにしよう。
これで虚節の万能度が1アップしたな。
お前は今どこを向いている?
人間の生き方を決める、いや、運命を決めると言っても過言ではないものとは、
現時点でのその人自身の「向き」である。
この「向き」とは、広義的には性格とも言えるのかもしれない。
ようはその場その場での当人の目標に当たるものだ。
ブログを書いていると日常生活のふとした拍子にネタが飛び込んできて、
これで一記事書いてやろうかなんて思うこと自体はしばしばある。
でも結局その中から実際に記事になるものがいくつかしか残らないのにはワケがあり、
少し見回してみると既に結構な人数が同じネタを取り上げたりしているからなのだ。
このネタはあっちのブログに、そのネタはそっちのブログに…と、候補が消えていく。
…ということは、数多くの人が1日のうちに同じような情報を得ているということだ。
同じ情報を受け、その上でAさんは1という情報を選び、Bさんは2という情報を選んだ。
結果、二人がその日の出来事について書いた記事は全く違うものとなった。
これこそが人生における選択の縮図、つまり彼らの向きである。
自らの向きに合わせて行った一瞬の選択の積み重ねで人生が構築されていく。
もっというと、二人とも1という情報を選んだとしても向きが違えば受け取り方が変わる。
例えば危険ドラッグは前向きに頑張ろうと思っている人にはただの時事ネタだが、
人生が嫌になった人には自らも手を出す可能性のある甘い汁に見えるのかもしれない。
そして残念ながら社会は、この向きがマイナスに傾いている人間から順に殺していく。
それだけでなく、向きを持っていない人間は取り残される。
少しでもプラスに向いている人間になってはじめて、どうにかついていけるようになる。
それは何故かというと、元々人生とは他者に合わせて歩むものではないからだ。
ついていくと書いてはいるが、実際にはこの人は自分で歩いている。
はじめに言ったように向きを持つということはある種の目標を持つということなのだから、
その目標に向けた日々をその人は送っているわけで、この間他人なんて一切関係ない。
仮に宗教団体の中にいても、その中で自分のやりたいことがある人はそのために動ける。
むしろそういうものを少しも持っていないと、途端に周りに引っ張られる側になってしまい、
身動きの取れない不自由さを味わいながら生きていくことになってしまう。
彼らは同じ団体に所属してはいたが、その立場はまったく異なるものとなったわけだ。
まあそんなわけで、条件だけでは人の生き方は決まらないんですよ。
全ての答はあなた自身の中にあるのです。
最初に訊いたことをもう一度訊くぞ。
お前は今どこを向いている?
人間の影って、複数人が全く同じ形として認識することはできますか?
厳密に言うとできないというのが結論だと思うんだが、
例えば平らな場所に映った影なら限りなく等しい認識まで近づけられるんじゃないだろうか。
人間の顔って見る方向によって全然形が違うよね。
これは人間の顔が3次元で作られていることによるもの。
見る方向によって起伏のパターンは当然異なる。
しかし影は、それ自体は2次元のものになる。
これがデコボコした地面や段差なんかに映っていたりすると、
当然擬似的に3次元化されているので見る方向によって形は違うが、
平らな場所だとイラストを見るのと同じような感覚になるのではないだろうか。
紙にピカチュウが描いてあって、ある場所からそれを見ている人がいる。
ある程度なら他の人がそこから離れた位置から見たとしても同じピカチュウだと認識できる。
同じことが影でも起こっちゃってんじゃないの~♪
そういうことだろ♪
とりあえず、影の写真撮ってみんなで見たら同じ形とか反則じみたことは言うなよ。
整理整頓された机は本当に作業しやすいのか?
今の現場って帰りに机の上に物を残しておくと翌日怒られるくらい厳しいんだけど、
はたしてそこまでキッチリ片づけてしまうことが本当に作業効率アップにつながるのだろうか。
当然雑然とした机より見栄えは格段にいいのだが、それが作業効率を上げる手段なのではなく、
単に元から作業効率の良い人がそういう癖をつけているだけのように思える。
だって適当に整理整頓してしまったら結構な記憶力がないと逆にどこ行ったかわからなくなるし、
それを仕舞ったところから取り出す手間が必ず発生することは間違いない。
その日作業していて大事だと思ったものはむしろよく目につくところにそのまま置いておく方が、
翌日の作業もより効率的になるのではないかと思うわけだ。
もっと言うと、大事なものという大きなジャンルでひとまとめにしてしまった方が良い。
これは○○の図面でこれは○○の図面みたいに細かく仕分けずにだ。
とにかく何でも仕分けしてしまおうという考えはおそらく、間違っている。
これは仕分けること自体が目的になってしまう可能性があるからだ。
ほら、前もってこんなファイルをダウンロードするかもしれないとか言って、
フォルダを細かく作り分けてたら結局使わなかったみたいなことないですか?
カテゴリーだけたくさん作ったけど結局そのカテゴリーでは1記事も書かなかった的な。
まあ当然、私はどっちもないです。
1記事書いてからカテゴリーを新設する派ですね。
だからこそこういう行為が無駄に思えるのかもしれない。
結局は程度の問題だとは思いますけどね。
あくまでもある程度にとどめておくことをお勧めしますね。
もし俺が描画ソフトを作るとしたら、ぜひとも搭載したい機能がある。
既存のソフトに存在しているのかは知らないが、鏡面サポート機能がほしい。
これは今勝手に名付けただけなのでどんな名前で使われているかは知らないが、
仮にまだ存在しないとしたらそれが現れた後確実に主流になるであろう機能だ。
これはキャンバス内の任意の位置を指定し、
その点または線を中心に今描いているものの鏡像を仮想で表示してくれる機能だ。
さらに「鏡像を実像化」コマンドによってそれを実際の線に変換できる。
これによって完全に左右対称の絵を描くことができるのだ。
ソロモンの紋章を描くに当たり、SAIの使い方をよく知らなかった私は、
全てのレイヤーを半分のサイズで描き、全てを複製・反転・合成した。
まあこのやり方でも正直そんなに手間はかからないんだが、
それが一瞬でできるならデザイン的な絵に挑戦する人ももっと増えるはずだ。
例えばリボンやマントの模様などは同じパターンの繰り返しになるため、
反転したり複製したりが簡単にできるようになれば非常に作りやすい。
あえて別ファイルとして描いたものを取っておかなくても、
その場で軽く作成・使用できるようになるのではないだろうか。
そもそも同じパターンを何度も使うことにクリエイターなら少しは抵抗もあるだろう?
模様1つにすらオリジナリティを持たせていきたいからこそ簡単に作りたい。
いや、AutoCADとか使ってると鏡像機能があって凄い便利なんですよ。
でもあれ製図用のソフトだから、イラストとかにも使えればなと思って。
鏡像機能の搭載、お待ちしてます。
でも安くないと結局買わないんだろうけどな、俺も含め。
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