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虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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新たな真理にたどり着いてしまったシリーズ

何でもシリーズと付ければそれっぽく感じる。

ほほう、これは真理ですな。

いやそもそも真理ってそういうちょっとしたあるあるネタみたいなことじゃねぇから。

さて、技術(ぎじゅつ)と業(わざ)の違いって何でしょうねというお話。

というかいかにして業を身につけるのかということを考えたときに必要な流れの話。

以前絵に関してした話と被る部分があるわけだが、どの話か言わずともこの話だけで事足りる。

はじめに技術があった。

技術とは、確立された手法を実践することにより、いずれ誰もが習得できる程度のものである。

こうしてこうしてこうするとこの商品ができますとか、これとこれとこれで出汁を作りますとか。

近年ではマニュアルが存在することをその定義としてもいいのではないだろうか。

これに対して業というものは、まず技術を習得することを先とする。

技術を身につけるという過程が必要不可欠であり、なおかつそれを感覚だけで行えることも必須。

ようはマニュアルが必要なくなった状態。

その上で更にその技術に自己流のアレンジなり何なりを加えて到達したものが業。

格ゲーで例えるなら、滅波動が技術、セビ滅が業。

まあセビ滅は生み出された当初こそ業だったものの、今では技術になりつつあるけどね。

ウメの業をつなぐキャンセル セービ!セービ!

フルになると凶悪さが増す ゲージ!ゲージ!

ハッハ~!!ありがたや~ありがたや~♪

よって、やはり基本を理解すること無しに業を身につけることなどできないということであった。

絵が上手くなりたかったら美術の技術を紹介している教科書を読むしかない!

美術の技術、キャスターのマスター、フルーツ黒蜜あんみつ。

以上ッ!!!

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日本人の意外なノリの良さに関する話しましょうかね。

飲み会の二次会ってほぼ確実にカラオケが入ってくるじゃないですか。

で、スナックみたいなところで飲みながらカラオケをするわけなんだけど、
酒が入るとどんどん声が出なくなっていくよね。

…という話ではなくてですね。

俺の番が来て歌うわけなんだけれども、店内にある変化が起きるんですよ。

周りの他の客がチラチラこっちを見始めるんです。

俺の歌が上手すぎて。ドヤァ

美術部だった頃に俺の歌を聴いてる人もいるかもしれないけど、今は更に進化してるから。
(そもそもカラオケに行き始めたのは美術部に入ってからだから一番下手な時期とも言える)

そこからが本番ですね。

まず俺が歌い終わると周りから拍手が来るでしょ、そうなったら相手の歌にも拍手するじゃん。

で、たまに全然知らないその人達と一緒に歌ったりするなんて展開もあったりして、
軽く一言二言交わしながら店を出る、なんてことがしばしばあるわけよ。

意外と日本人ってノリ良いんだなと思った、というお話。

まあ、俺くらい歌が上手くならないとこんな展開はまずないんだけども、
皆さんも頑張ってこれくらいの上手さは身につけておいた方が良いですよ。

どんな縁が転がり込んでくるかもわからないんだからね。

今自分が明らかに調子に乗りすぎていることに対してニヤニヤしながら記事を書きましたが、
言ってることはあながち間違ってはいないと思うわけです。

声一つで相手の本性を引っ張り出してやろうじゃないか。

でも正直に言うと、実際あんまり関係のない人には入ってこないでほしいな…

設定変更かもしれない話 アスリートの写真編

なぜアスリートの写真は(悪い言い方をすると)酷い表情のものが多いのか。

たとえ元がイケメンであろうとなかろうと、競技後にはとにかく物凄い表情の写真が残る。

そしてそれがニュースで取り上げられたりしてしまったりして。

人によってはメディアに対して陰謀論じみた批判を展開する人もいるわけだが。
(評判を落とすためだとか、ある国のためだとか、言い出すときりがないが)

ところがどうも私はこれらの写真を批判する気になれない。

それどころか、批判するなんてとんでもないとさえ思うわけだ。

人によってはこの時点ですでに同意してくれる人もいるのかもしれない。

逆に現段階では同意してくれない人が相当数いると思うので、
今回は順を追ってこの理由を説明してしんぜよう。

まずはじめに、その選手が元はイケメンであるという事実はどこで知ったのだろうか?

同じくメディアを通してではないのか。

つまり、イケメンである瞬間もちゃんと放送されている。

そこに来て何故その写真を選んだのかという話だが、
ここで写真を撮る側の気持ちを考えてみてほしい。

相手はアスリートなのに、あえてそこでイケメン選手のイケメン写真が撮りたいだろうか。

モデルではないのである、そしてイケメン写真なら普段いくらでも撮れる。

その競技でしか撮ることのできない表情、もっと言うと、
その選手が競技に対して本当に全力を出し必死になっている時の表情を撮ること。

これに全力を傾けることこそが写真家の仕事ではないのか?

あれこそが世界トップレベルの選手が必死になった決定的瞬間なのである。

これは多分、個人的な設定変更なんかではなく、事実だと思うのだがどうだろう?

そしてこれが事実だとしたら、ネット界隈ではかなり多くの人が不必要なストレスを感じている。

もはや事実かどうかなんて関係なくこういうことにしてしまった方が良いのではないだろうか。

こう決めつけるとこれは設定変更になるが、今回は事実である可能性も限りなく高いので、
間とって設定変更かもしれないという扱いにしておきました。

あなたはどう考えますか?

なんも話すことがないから仕事選びの要点について語ります。

給料が良いとか休みが多いとか、明確に自分の中で基準を持ってる人はそれが正解ですが。

特に基準を持ってない人はまず、最低限嫌じゃない仕事にした方がいいってことですね。

逆に言うと、本当にこの程度でいいと思うわけです。

理想を持ちすぎても逆に思ってたのと違う職業が多すぎて嫌になるだろうし。

やりたくもない仕事をすることの問題点は何があるかということなんですが、
あえて直接そこに触れずに違った観点から体験談を話すとしよう。

仕事って、意外と面倒じゃないですね。

正直学校に通う方が面倒くさいような気がするんだが。

つまるところ、この感覚になるのが大事なんだろうなという話です。

さすがに嫌な仕事だとこうはならないから、最低限それだけは避けようと。

学生の頃はむしろ仕事なんて面倒なことやりたくないな~なんて思ってたもんですが、
実は仕事の方が面倒じゃなかったという目からウロコ的なお話。

しかもそれでいてお金の流れは学生とまったく逆になるわけですからね。

休日もなくなったらなくなったで人間それが普通になるんだよな~。

休みたいという思いがあるのはせいぜい連休の数日前とかそれくらいですね。

これは人によってそこまで変わることなんでしょうか?

だいたいの人がいざ働き始めたらこんな感じになるんじゃないだろうか。

だとしたら働いとくべきだなーと思ってしまいますよね、実際働いている身としては。

この記事で一番言いたいのは、働くのは言うほど大変ではないということだ。

ただし、今後の環境次第でこの前言は撤回される可能性があるから気をつけろ!

過去の出来事に興味を持つ人間というのは特殊な方だと思う。

戦国だの幕末だのといえば別の意味で興味がわく人もいるかもしれないが、
もっと一般的な意味で例えば1年前とか1ヶ月前とかに起こったことに興味があるか?

基本ないと思うんだよ。

歴史に刻まれるような出来事をあくまでも出来事として記憶している程度で、
それが何日の何時に起こったとか別にどうでもよくて下手したら何年だったかすら忘れる。

この症状が進行すると、下手したら1週間前に起こったことすら何一つ覚えていない、
もっと言うとさっきご飯食べたばかりなのにご飯はまだかねとか言っちゃうようになる。

…それはさすがに行き過ぎてまた別の話になっちゃってる。

まあ基本人間は過去の出来事にそれほど興味はないということです。

過去にフォーカスしたのはこの記事が過去にさかのぼって作られているからだが、
もっと言えば未来に興味がある人間というのもそんなにいるわけではない。

この日までにこうなりたいみたいな欲求がある人が一握りほどいる程度だろう。

ほとんどの人間は今を生きることに力を注いでいるのだ。

今を生きる人間が世の中の流れを作るわけだから大事なことなのだが、
その中で先のことを考えていない人間はどうあがいても流される側なのだ。

そして先のことを考えるためには過去のことにもっと興味を持たなければならないのだ。

人間の歴史はもう2000年を超えた。

その膨大なデータを何一つ自分の未来に活かそうとしなければ、
平成の世に生きるのも平安の世に生きるのも同じことなのだ。

現代ではフグを食べに山口旅行に行く計画を立てられるだろう?

これほど明確な目的が成功する確率は、偶然同じことが起こる確率よりもかなり高い。

人生という確率論の海にただ身を投じるのか、浮き輪程度は備えていくのか。

どちらが生き残る確率が高いのか、あえて言う必要があるだろうか。

人間はもう少し過去のことに興味を持つべきである。

何が言いたいかって、この記事は別にいいんですよ。

過去の記事ではあるけど今の記事でもあるわけで、もっと過去の話なんです。

もし今時間が取れる人は、このブログの過去記事を読んでみることをお勧めしますよ。

あまりに過去の出来事というのは自分自身の行いであっても観客として見ることができる。

私は過去の私自身の記事を読んで、私は天才なのではないかと錯覚してしまったよ。

こんなことが俺に考えられるだろうかと思ったわ、考えられたからその記事があるんだけど。

まあ下手したら性格の設定のおかげで本来持ってる以上のものが出てるのかもしれない。

人間は無意識に役を演じる生き物だから、+αが追加される可能性はあるにはある。

でもその分も含めて自分であることには変わりないわけだが、
現在の私は私の過去を再現できる気がしないわけだが。

まあ、幸いにもこのブログには全記事リンクっていう凄い手の込んだ便利記事があってね、
この季節が終わったら第五弾を追加するけど、第三弾くらいまでの記事が特にお勧め。

なんかもう溢れ出る才能を感じる。

何故そんなことを言うかというと、今の俺にはもうそれがないから。

パンピー化現象がかなり進行してしまったっぽい。

多重性格という設定も長く使えば受け入れられてしまうじゃないですか。

受け入れられた個性はもはや個性ではないという「天国が地獄」みたいな側面がある。

そうなったらもはやこれは、普通の日記と変わりねーんだよ。

でもなんか、過去の記事を読むことによって特殊成分を補充できるような気がするわ。

次の季節ではぜひもう一度才能溢れる俺に挑戦してみたいね。

…過去記事面白いわー。

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