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虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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体はバランスよく鍛えないと駄目だねぇ~。

例えば指の力を人体に穴をあけられるくらい鍛えたとするじゃない。

でも指の力が強いだけじゃ重い物持てないよね。

腕の力を鍛えたら持てるようになるけど、肩の力も必要になってくるよね。

そこまで鍛えても腹筋や背筋を鍛えてないと持ち上げた時バランス取れないよね。

しゃがんでからじゃないと持ち上げられないくらい重いものになってくると、
足の力も当然必要になってくるよね。

全部鍛えて重い物が完全に持てるようになったけど、
それを投げようとして体をひねったときに腰がバキバキッといくよね。

結局重い物が持てるようになれば、普段は荷台に乗せて運んでたのに、
持てるようになったから手で持って運ぼうと思うようになって、
そうなると今度はもう一つ持てるようにするためにもっと力が必要になる。

もう一つ持てるようになったらまた別のものを追加で持とうとするし、
もっと力が付いたら本来はとても持ち運べるようなものではない物まで持とうとする。

きりがないわけよ。

その途中で絶対どこか壊れるわけよ。

だから力なんてあっても意味がないんです。

どうせ人間なんだったら頭を使いましょう。

ちなみに私がこんな記事を書いてしまったのは、特に頭を使ってなかったからです。

では、頭を使いましょう。

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今日が今日でなければ、明日が明日ではない可能性があるか?

いや、今日が今日でなかったとしても、私にとって明日はやはり明日だろう。

昨日は昨日ではなかったのかもしれない。

でも明日は間違いなく明日だろう。

この瞼が垂れ下がってきて、やがて意識がなくなり、ふと目覚めればそれは明日だろう。

虚言の季節にも今のところできないことがある。

それが明日の記事を書くことだ。

明日の記事を書いてしまうと明日が来ることを肯定できなくなる。

私はそれが怖いのだ。

明日が必ずしも明日ではないというのであれば、もう明日が来ない可能性すらある。

だから明日の記事だけは明日が来るまで取っておこうと思う。

虚節年は実年に追い付くことはできるが、追い越すことは決してできないのだ。

なぜなら、私がそれをさせないから。

虚言の季節にできないことは、私がさせないことだけ。

それくらい私は虚言の季節を支配しているし、
虚言の季節は嘘を使うことによってどのような思考も体験も作り上げることができる。

今ここで、恋に恋する乙女になることだってできるの。

だが私の明日だけは、絶対に私に奪わせない。

これは私との戦いだ。

虚言の季節に明日を支配させないための、私と私の戦いだ。

女というのは、彼氏なんかのブログとかSNS系のものを片っ端からチェックするけど、
あたかも興味がないかのように見てないことにする習性があるらしいぜ。

俺はこの話を聞いたときにある出来事を思い出したんだ。

あれはまだ俺がpixivを始めたばかりの頃だったか。

当時まだ彼女だった藤乃さんにもそのことは伝えていたのだが、
どうもフォローしてくれる様子もないしどうしたもんかと思ってたわけ。

自分が見せたいと思った人には見てほしい的な部分もあるんだ。

で、フォローしてもらえないならマイピクになろうということで、サイト上で誘ってみたわけ。

そうしたらすぐにOKしてくれて一安心だったんだけど、そこでおかしなことが起こった。

自分のフォロワーを見るときって基本フォローしてくれた順に表示されるんだよ。
(厳密に言うと最近フォローしてくれた人から順に古くなっていく感じ)

えー、藤乃さんのアイコンが最初にフォローしてくれたはずの人より前に出てきました。

これ完全に非公開で登録されてたのがマイピクになって公開されたパターンやん。

女ってそういうとこあるからなー。

さあて、綺麗に言うか汚く言うk汚く言おう!

ということで、他の人のブログから上手にネタをパクる方法について伝授いたします。

偶然ネタが被ってしまったけどなんとか偶然だと分かってもらえる方法なんて言いません。

パクってでも何でも書いたもん勝ちなんだよこの世界はよォ!!

その方法とは、8:2で自分の「表現」を多目に使うということ。

これによって自分の色が出ます、ただし自分の「意見」を書きすぎないように。

これをやってしまうとオリジナリティ出すぎてパクった部分が逆に目立ちます。

意見にはあまり重点を置かず、紹介する順番や流れを変えてみるとかそういうことです。

同じ物事についてでも、それに対して思考した経路が違うんだなと思わせるのが大事です。

そしてもう一つ、そのネタを仕入れた時間を割と正直に書きましょう。

これによって堂々としてる感じも出るし、誠実さを感じてもらえることに加え、
被ってるとわかってでも書きたかったんだなと勝手に解釈してもらえます。

場合によっては温めてたネタを先に出されたので慌てて触れたと思ってもらえるかも。

思いっきり後出しじゃんけんしてるだけなのにねー。

他にも自分なりにいろいろ考えてパクってみると良いと思うよ。

まあパクるなら上手にやれってことです。

多くの人間は目にした全てのものを実際に見たと認識することはできない。

目の前にある景色のどこかにピントを合わせて、後のものは見ていないことにしている。

すぐ目の前にある本の文字と、遠くの方にある山々を同時に視認することは不可能に近い。

そんなことは誰でもわかっているが、誰でもわかっていないパターンを考える。

例えばこれが、頭の中と実際の視野だった場合はどうなる?

今回は、これについて考えてみる。

さて、この記事を読んでいるあなたも少し思い出してみてほしい。

「過去のことを思い出している時の記憶」ってどうなってるんだろうね?

その時頭の中には過去の光景が再生されていることだろう。

しかし目を閉じていなければ、同時に僕らは何かを見ているはずなんだ。

この時僕らはどちらを認識しているのだろうか?

思い出した過去の記憶の中の自分なのか?

それとも過去の記憶を思い出している自分なのか?

自分のことを自分はどちらで認識しているのだろう。

この記事を読んだ人はもう、意識してしまったので、今後はどちらかを選択してしまう。

無意識にこれをやった人がどちらを選択しているのかが知りたい。

そしてそれは毎回同じなのか、条件によっては変わるのかについても知りたい。

知りたいけど今の私にはそれを聞く相手がいない。

だからそういう相手がいる人は実際に訊いてみてどうだったか教えてほしい。

ちょっと頭良さげなテーマだと思うのでひょっとしたら評価アップにつながるかもしれない。

当然、不思議ちゃん扱いされちゃうかもしれないけれどもね。

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