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本来考えるべきだったはずのことを投げ捨てて物思いにふけってしまうことがあるよね。
私は今虚言の季節の固有結界を発動させ、こうして過去に帰ってきました。
まだ2月だって、さっきまで同年の10月にいましたからね。
半年以上も時間を遡行してきてしまいました、一瞬にして。
そうしたらなんかこの枠がたまたま空いていて、顔を出すことができたと。
というのは冗談で、なんとかして記事を埋めてくださいと頼まれたので出てきてやった。
…何が冗談なのか、もはやわけがわからない。
これは読者の代弁である。
まあこうやって各期間に1ヶ月毎くらいに遡ってくれば効率よく記事が埋められるという話。
だってよく考えたらこの記事、まだ何も話してないに等しいのに相当話した感あるよ。
といっても10行程度なんだけど、何も言いたいことがない時に書く10行は相当なものなのよ。
何しろこの記事の持つ意味というのは、
虚言の季節の中では時を遡ることもできるということを証明することだからね。
この記事が公開された時点でこの記事は2月のものになるわけですし。
そこにきて記事の著者がさっきまで10月にいたとか言ってるとしたらそれはもうね。
…それが真実であることをどうやって証明するんですか?
事実に証明は不要。
10月にこの記事を書いたことを知っている私と、2月の記事として読む読者がいる時、
私が10月から2月の記事を書くという時間遡行を行ったことは紛れもない事実なのだ。
ん、でも今仰ったとおりなら10月に書いたんですよね?
10月から2月に遡ってきて書いたのとは似て非なるものじゃないですかそれ?
そこはユニバーサルメルカトル図法でなんとかなるから。
あー、それあれでしょ、ポリクロロジベンゾパラジオキシンの奴でしょ。
そうそう、あと必要なのがイングヴェイ・J・マルムスティーンズライジングフォースね。
さてはそれをジャン=ピエール=ポルナレフするんですね?
見た目にこだわるならハインリヒ・コルネリウス・アグリッパも欠かせないね。
おい!さっきそこにセキスイハイムがいたぞ!
なに!!みんな見に行こうぜ!!
わー!!
そして誰もいなくなった。
お前ら、黒を使いこなせる人間になろうな。
黒を使いこなすとはどういうことか。
別にひねっていません、今回は。
少しだけ、部分的にでもいいから上手く描けるパーツを持てばいいと言っている。
そうすればあとは全部黒塗りでそれっぽいシルエットを作っておけばいい。
その部分は見る側の人が勝手に都合よく解釈してくれるから。
この部分がこんなに上手いならきっとこの黒い部分には凄いものが隠されてるに違いない。
そんなことは無くてもそう思ってくれるから大丈夫。
わかっててあえてやってると思わせればこっちのもの。
黒とはそのために使えば最大限の味方なり。
むしろ黒なんてその程度しか使い道は有りません。
黒を使うと思ったならばね。
線を引くことは黒を使うことにはならない。
それはむしろどちらかといえば白を使うことに相当する。
明度暗度というがあんなものは全部明度なんだ。
どれだけ白いか、光の量の話。
黒く塗りつぶした中に少しだけ白を入れると黒い服が描ける。
別にその白は輪郭を形作る線でなくてもいい。
光が反射するとした部分を白く塗るだけでそれ相応の技術があれば残りの形は見えてくる。
あとはどれだけ反射する部分が多いかの話で、それらはすべて白を使った表現だ。
黒が線でしかなくなるほど白い部分が多かったというだけの話だ。
難易度と同じだね。
あんなもの単純に難度だけでいいんだ、難度が低ければ易しいことになる。
こんな説明じゃ理解できないだろうから、優しい私は別の解釈も用意してある。
黒で線を引くわけだけど、それは黒という色を使った訳ではないんだ。
あくまでもそこで使ったのは形であって、色ではないんだ。
だって赤だろうが緑だろうが同じ形の線は引けるもんね。
ただそこに見えてくるものの印象が少し線の色に左右されるかな?程度の話。
私が言う黒を使うというのはそんなちんけなものじゃないよ。
黒という色そのものをちゃんと使うんだ。
黒とは闇、闇の先には何があるかわからない。
つまり黒は「直接は何も見えなくても何かがそこにあるのかもしれないのだ」と、
そういう状態を表す色だということを人間は本能で理解しているわけだ。
これを利用するのが黒を使うことだと私は言いたかった。
最初からそう言えばよかったね。
でも全部黒く塗りつぶしただけじゃそれは黒でしかないわけ。
白をある程度使わないといけないわけ。
だからそのある程度使う部分だけ上手く描ければ良いんですよってこと。
例えば手だけ物凄く上手く描けるようになればあとはマネキン程度のシルエットでいい。
「顔なんてどうでもいい、無くていい顔なんて」の精神。
描きたい部分だけ描いて、あとはおおまかな形を全部黒く塗りつぶしていく。
塗り終わってふと紙を見ると、なんと絵が1つ完成しているではないか。
また1つ、絵を終わらせてしまった…
その昔、「バンパイアドール ギルナザン」という漫画があったわけだ。
俺はその漫画を読んでいたわけだが、その中に広島弁を使うキャラが出てきたわけだ。
広島には親族もいるし、ある程度は広島弁に対する知識もあったわけだ。
でもどうしても違和感を覚えてしまった表現があったわけだ。
それが「~のいね」だったわけだ。
「あるのいね」とか「ないのいね」とか言ってて意味不明だったわけだ。
「わけだ」って最後につけるゲームをやめろ!!
で、親族からもそんなこと言ってるのを聞いたことがなかったし、
これは誤って伝わった実在しない方言なんじゃないかと思ってたんだ。
でも最近になってその方言は実在するということを理解した。
今の現場に派遣で来てる人がこの方言を使っているわけだ。
おーい分田さん、なんかよくわからんが呼ばれてるよ!
はいはーい、なんでしょうか?
貴様のことなど知らん、カエレ!!
その人は「~ですいね」って語尾によくつけてくる。
最初の頃は使ってなかったから、多分これはある程度砕けた表現なんだと思う。
ある程度お互いを理解して気を許せる仲になった相手に対して使う的な?
中国語で言うと疑問形が「~マ?」から「~バ?」になるみたいな感じ。
中国語を習ったことのない奴を置いてけぼりにしたところで。
ちなみに私は気を許すと言ったんだ、木を揺するとは言っていない。
厳密には気を許すとは言ってない件について
気を許せる(気を許すとは言ってない)
ニュアンスで察してくださいという部分が結構な割合を占めていたことは否定できない。
つい読者に対して気を許してしまったようだ。
許してくれた読者に対して言わなければならないことがある…ありがとナス!
あくしろよ
というわけで、「ですいね」と言ってくる奴は広島県民である可能性が高いということだ。
広島県民特有の語尾
ちなみにその派遣の人は島根県民だ。
これもうわかんねぇな
俺氏、早くも真理に辿り着き始める。
超ありがちな萌え要素を持った萌えキャラに萌えることはできるかという話。
そもそも萌えというものは無理矢理与えられる物ではなく、
自分で見つけていくものだとどこかのエロい人が言っていた…
それもそのはずで、そもそも「萌え」自体もそうやって見つけていった先にできた言葉だ。
つまり、これは萌だけではなくエロにも適用されるという前提で話してみる。
するとどうだろう、エロを目指して描いた絵からエロを感じることはできるか?
「エロを目指して自分が描いた」という、これほどの要素を無視できるだろうか。
絶対に無視できるはずがないし、凄く邪魔をしてくると思われる。
ならばエロを目指していない絵からエロを感じ取ればいいのではないか。
健全な絵を描いてそれを健全()に用いればいいのだ。
そして自分の絵だという認識を可能な限り無くしていけばいいのではないか。
つまり、他人の絵を自由に動かせばいいのだ。
そんなことができるのか、できる。
全世界的には知らないが、少なくとも俺にはできる。
ただ、本当に完全に似せるなら使ってるペンとかも同じにしないと駄目って話。
だからこれはあくまでも形の話でしかない。
…ていうか、なんかもうこれが全てな気がしてきたな。
最初の方で言ってた萌がどうこうとかもう別にどうでもいいんじゃね?
つまり今やるべきことはおおまかに言ってただ一つ。
エロ漫画の模写をしてみないかい?
これをやっても無理だったら、もう自家発電は諦めようぜ。
そもそもなんでこんなに自家発電にこだわっているのかといえば、
絵が趣味ですと言うたびに「自家発電できるからいいな」みたいなことを言われるからだ。
実際にはできないのにできることにされているし、多分してると思われている。
建設業界の人間達はどいつもこいつも同じようなことしか考えていないようだ。
で、そこまで言われるなら、確かめてみたいわけよ。
自分の可能性をさ。
厳密に言うとそんな可能性はなかったということを確かめて安心したいんだが。
まあどれくらいの本気度なのかは、今後いつ実行されるかによってわかるだろう。
おい、「変な」とは何か?
オーバーレンジは変ではない。
オーバーレンジは恋だ。
違う、故意だ。
このブログは変なブログなのかと言われれば、別にそんなことは無いのだ。
誰でも頭の中では思っているような事を実際に発しているにすぎない。
思っても言わないのと実際に言ってしまうくらいの違いしかない。
その違い自体を変だと言う奴もいるだろう。
だが待ってほしい、それは無意識であってこそ変だと言えるのではないか?
もう一度言う、オーバーレンジは故意なのだ。
意識的にやっている、つまり記事として発信している時点で、
これはシステマティックなものになっていると言える。
よって貴様らが理解できない物全てを「変な」で片づける思考停止猿でない限り、
このブログは変なものには含まれないはずなのだ。
むしろこれは、どう考えても頭の良い人間が故意にそう見せているとしか考えられない。
変なブログだと思った奴は作者によってそう導かれるままに動いた思考停止猿なのだ。
変であることを臭わすために配置された単語、文章、構成、そして嘘。
言ってしまえばそれらも含め、このブログの全てが嘘。
作りものであり拾人でいうところの零人目という人間の本質は一向に見えてこない。
自分で考えて動いている人間には、このブログはどうしようもなくつまらない妄言。
だから虚節を楽しめるのは思考停止猿か、意図的にそうあろうとした者のみ。
ということを皆さんは無意識に意識し、それが真実だと願っているのでしょうが…
君たちの願いが私にとっての事実と同等であるという保証などどこにもない。
そもそも、今回は思いついたことがたまたま意味の通った文章だっただけだ。
意味が通ってさえいればまともだと思い込むのか君たちは?
意味の通っていない文章とそれ以外に何の違いがあるんだ?
「ちゃんと話せそうだから今日の拾人はまともなのかな」とか思ってるのか?
ちょっと頭の良さそうな人が使いそうな単語や言い回しを使っただけでそれか?
まさか変人は道理を説くことすらできないという偏った思考をお持ちか?
変人の説いた道理の方がたまには正しいかもしれないと考えることすらないのか?
わかったか、「変な」とは自己の正当化だ。
その一言で切り捨てられた全ての者達のために私は記事を更新する。
その一言で切り捨てられた全ての物達を使って私は記事を更新する。
全て使い切るまで私は止まらない。
それが私の、オーバーレンジだ。
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