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虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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何かをやろうと思うけど自分の中で材料が十分に揃っていない時というのがある。

ここでいう材料とは物理的なものであっても精神的なものであってもかまわない。

ブログでいうなら記事を書きたいけどネタがそこまで固まってなかったりするときだ。

しかしそんな時は、とりあえず書き始めてみればいい。

一つだけ言える真理がある。

男は黒に染まれ。

ではなく、何かをやっている時、まさにその時がその物事に対して最も得意な時なのだ。

絵は描いている最中が一番得意だし、歌は歌っている最中が一番得意なのだ。

だからその状態を続ければ、それはすなわち得意な状態を持続させることになる。

記事のネタ程度なら別の記事を書いている最中にどんどん湧いて出てくるだろう。

大切なのは出力を行っている最中に次の入力を既に考えているかどうかということ。

これだけで効率は飛躍的に上昇、毎日更新も夢ではなくなってくる。

同時進行が難しければせめて記事を書き終わった直後に次の記事を考えてみる。

文章を作るということに少し慣れた状態で内容を考えることができるので、
その時点なら表現などは書きたい内容に合わせて瞬時に対応させることができるだろう。

しかし逆を言えば、一度手を離してしまうと一気に難しくなってくる。

これはこのブログを通して経験的に理解した真理であり、
数記事まとめて書いては数日ブランクが続くといったような展開は過去幾度となくあった。

それが極まったものがあの1年遅れ事件であり、
正直言ってあの当時はまともに記事が書ける気すらしない日も多かった。

しかしいざ書き始めてみると、今はまた差が開いたとはいえ一時は完全に追い付いた。

そんなことは、できたのだ。

1年遅れを毎日更新状態を維持しつつ追い付かせるためには、
単純に考えても1日2記事以上書くペースが必要だった。

どう考えても異常なペースでの更新が必要。

しかし実は、多い日には1日7記事くらいは書いていた。

記事を書く気になっても、何記事書くかまで決めてから書き始める人は少ない。

そもそも書きたいことあっての記事作成であって、先に記事数が来るはずがないのが普通。

でも実際にはこれくらいの記事数は書きたいという思いを持って更新に臨むと、
それくらいは意外と書けてしまうものだったりした。

面白いのは、それくらい書いている日には既に追い付くビジョンが見えていたということ。

明日も明後日もネタに困ることはないだろうという漠然とした自信に満ち溢れていた。

これは記事の更新に対して精神的に得意になっていたという何よりの証拠だ。

一転数日放置してしまえばあの絶望感が再び襲ってくる。

記事のネタなど探しても探しても見つけることなどできるはずもないと思えてくる。

それでもなんとか1記事作ってみて、また次の1記事へと手をつけていくと、
不思議と全く思いつかなかった記事のネタが次々と湧き出してくるのだ。

探しても見つからなかった状態からさらに無理に擦り減らしたネタが、
突然どこからともなく湧いてくるあの感覚を知ってしまえばもう戻れない。

それをやっているときが一番得意なのだという意識を持つこと。

そしてその状態を続けようとする意志を持つこと。

この二つが合わさり最強に見えたとき、実際最強なのである。

だからとにかくやれ、やり続けろってことだよ。
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嘘を吐けない人間に毎日日記を更新するなんてできっこないよ。

作り話ができるからこそ無限に書くことを生み出せるわけであって、
これが本当に自分自身が体験したことしか書けないとかになったら、
そんな毎日人に話すような体験をしてる人間なんているわけないんだよね。

それに、作り話でもいいからガチ真実から1、2行くらい盛ってくださいと読者は思っている。

当然盛ったらその時点で嘘吐きになるんだけれども、
それが求められているし、それが仮に悪い嘘であっても結局は良い嘘だと思う。

つまり、記事を盛り上げるために人を殺そうということだ。

例えが極論すぎてあらぬ誤解を生んでしまいそうだな。

いや、もはや誤解と呼ぶにはハッキリと断言しすぎている。

じゃあ例文をつけておけばこれはあくまでも例なんだなと理解してもらえるだろうか。

例えば、ただ「車が正面衝突していた」と言われてもそんなに読者は振り向かないが、
「その間に人が挟まれてグシャグシャになってた」とか言うと読者は想像を始める。

ありもしない場所で車に挟まれ、ありもしない潰れ方をしたありもしない人間のことを。

ご丁寧に雨まで降らせてみたりしてな(笑)

でもそんなことでも自分の脳を使うのは気持ち良いだろ?

だから脳を使わせてくれる文章なり何なりを人は待ち望んでいるわけで、
提供する側はそういうものを作り出していかなければいけないわけ。

その最も基本的なものの1つが嘘です。

やり方は簡単、この中に嘘が混ざっていると言うだけでいいのです。

それだけで私のほぼ全ての発言に対して読者は頭を使い始めるのです。

これはどこまで本当なんだ?口では嘘といっているが本当に嘘なのか?とね。

結果、ただ日記を書いただけで面白くなったりするんですよ。

逆に言うと、誰のどんな日記だろうがこれは嘘なんじゃないか?と考えるだけで、
日課的に読んでいる日記がなんか面白くなってしまうかもしれないよ。

つまりこれはアレだ、人の言うことを疑って生きた方が人生楽しいということだ。

AさんがBと言ったらCが実はDなのではないかと思うことで余分に楽しめるぞ。

まあ大事なのは、楽しんだ分だけ自分の記事にフィードバックせよということなわけで、
疑いは分析・考察となり、その推測はある意味非常に面白い嘘なのである。

命短し嘘吐け人類、だ。

一般人は覚えてもそれほど役に立たない言葉。

今回の面白ワードは「ステコンテン」です。

何をふざけているんだと思った方もいるかもしれないが、
これ、建設業界ではちゃんと意味のある言葉なんです。

まあカタカナで書いているのはわざとらしいんですけどね。

ほら、漢字仮名交じり単語として書いてしまうとすぐ意味がわかるんでね。

それが「捨てコン天」です。

いや、意味がわかるは言いすぎたか。

みなさんは貧配合コンクリートというものを知っているだろうか。

ようは強度が足りないわけなんですが、これは構造物そのものではなく、
それを作るための下地として土の上に敷くようなかたちで使われます。

この敷いた状態のものを「捨てコンクリート」もしくは「均しコンクリート」と呼びます。

これで前半はわかっただろう?

では天とは何か?

お前さん達は天端という言葉を知っておるかの?

これは「てんたん」ではなく「てんば」と読み、高さのある物の一番上を指す言葉なのじゃ。

つまり捨てコンクリートの天端、これを縮めて言ったものが捨てコン天なのじゃ。

ただ単に、捨てコン天ってステコンテンって書くとなんか面白いよなって話だ。

クスッと来る程度のお話でした。

まあ勉強になるだけマシということで。

ちなみに「捨て天」とか「コン天」みたいな呼び方もする。

ステテンコンテンステコンテン♪

つい♪を付けてしまう小気味の良さがあるね。

体にだけリアリティを求める人って多いよねという話。

例えば顔パーツが漫画調の実際にはあり得ない配置になっているような絵であれば、
別に体の各パーツだってそれなりに演出としておかしなことになっててもいいのでは?

指があり得ない方向に曲がっていたとしても、それが表現なら別にいいよな。

その表現をするためにあえてイチイチ正解を知っておく必要もないと思う。

別に本当はどうなのかがわからなくても、表現したいものができていればそれが全てだ。

ところがパンピー共は自分が気に入らない表現はすぐにミスだと捉えるからな。

そしてこれが顕著なのが体パーツ(主に手とか)だということだ。

じゃあどうすればいいのかというと、中途半端なリアル感を捨てればよい。

全てにリアリティがなければ、むしろそれは洗練されたデフォルメとなるのだ。

例えばねじまきカギューのように。

でも少しでもリアルに見せたいという気持ちが描く側にあるのであれば、
ここまでの内容とはまた別の話として当然ある程度の努力はしなければならない。

それなりに見える方法を編み出さなくてはならない。

ようするに体にリアリティを求める人が多い原因というものを考えたときに、
まだリアルくらいしか正解がないからというのが大きいように思ったわけだ。

顔に限定すれば数多くの「認められた」正解というものがある。

例えば目について言うなら、少女漫画ならこれくらい大きくてもいいですよとか、
萌え絵ならこれくらい縦に長くてもいいですよとか。

顔に関してだけなら腐るほど色々な正解が一般に浸透している。

これに対し、例えば手の描き方の正解は何だと聞かれたときに、
結局ほとんどの人が未だにリアルに辿り着いてしまうんだと思う。

だからその概念をぶち破れるような正解を自分で作らないといけない。

でも作ったからといってそれを見てくれる人は少ないので無駄といえば無駄。

だいたい顔が描けていれば何とかなるような気もする。

だから体にこだわっている人というのは、実はとても貴重な存在なんだ。

その人からしか盗むことのできない正解があるのではないか。

この正解とは顔パーツで言うようなちょっと個性がある等とはもはや別次元の話で、
極端に言えば体をデフォルメするという概念そのものの有無にも通じるものだ。

顔は滅茶苦茶でいいけど体は基本リアルじゃないと駄目な謎の世の中に抗え。

画力ではない、君の想像力の話だ。

確かに、虫に変身する女を愛することができるだろうか?

ちょっとしたモンスターモノや改造人間物モノなんかでヒロインがよく言うあのセリフ、
「普通の人間とは恋ができない」というのは真理なんじゃないかと思いましてね。

その作品に触れている時だけ俺らは「そんなことはない」と思うわけです。

でも、実際には、ちょっとフケが多いとか、肌が荒れているとか、顔が可愛くないとか、
そんな程度の理由で完全に同属である相手にすら嫌悪感を抱くのです人間は。

そういったレベルでの拒絶反応を無意識に示す可能性があります。

心の狭い生き物なんだよ、人間は。

というか、心の広狭という尺度が人間にだけあるというだけのことで、
別にどんな動物でも優良な遺伝子を選びたいというのは当然の話なんですがね。

唯一救いがあるとすればその辺りじゃないでしょうか。

明らかに普通の人間ではできないことができるわけですから、そこは優れているといえる。

先入観なくそういう存在と向き合いたいなら、相手の長所に真っ先に目を向けることだな。

あれ、これは別に普通の人間に対しても言えることではないのか?

要はアレです、他人の悪いところばかり見てしまう人間はクズだということです。

俺はクズなので、他人の悪いところや周りに劣っているところはかなり目に入ってきます。

でも俺はさらに狡猾なので、本当に使い時が来たと思うまでその情報は取っておきます。

結果、別にどんな人間にもほぼ平等に振る舞える人間が見掛け上存在しています。

嫌いになった人間にはとっておきの容赦のない的確な指摘が襲いかかります。

ちょうど菌様にやったようなことですね。

だから俺は思うのです、こんな俺では、「普通の人間とは恋ができない」とね。

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