[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
やることがないって恐ろしい状態だと思わないか?
わけの分からない虚言妄言を垂れ流したとしても、
本当に何もすることのない奴よりはまだマシだろ?
それを言っている間は頭は前を向いているし、ちゃんと動いているよ。
だからつまり、今まで続けてきたことをやめるというのは、
こういう点においては非常に勇気のいることなんだということを知る必要がある。
逆に言えばそれを知りさえすれば、いつでもやめることができるわけだ。
このハードルには下げる方法があるからね。
代わりにやるべきことを見つけてしまえばいいというわけだ。
ただし探してもそれがどこにもなかった場合は、
喪失感を取るか永久に共にと誓わなければならない。
そんな感じで喪失感を取ることを選びたいけど選べない人の背中を押していく俺。
つまり喪失感というのは肯定的に受け入れれば開放感になり得るということを、
人生の経験を持ってして数々の人々に悟らせていくことができれば、不幸が減る。
失うことを恐れなければ、案外保っていることのデメリットも見つけたりできるんじゃね?
それはどうあがいてもデメリットなわけで、喪失感と引き換えに、
少なくともそれはなくすことができるというのがスタート地点だとしよう。
簡単な実践などするまでもなく理解できる段階。
しかしふと自分がわりと大切にしていると思っているものを対象とした時、
この考えに至ることのできない人類はおそらく多数。
大切にしていると思えるものがあるって良いことだからね多分。
全世界的に見ると別に良いことじゃないだろうけど、
そんなものがあっちゃ自爆特攻できなかったりするし。
でもそれを捨てなければ自分が先へ進むことは決してできないとなったときに、
まだ足を引っ張ってくるような、そんな大切なものは、大切なものではないんだ。
先述のとおり大切だと思ってはいたが、別に大切なものではなかったのだ。
別になくても生きていけるという真理。
その境地へ人を導くキーワードこそが解放なのだよ。
解放という言葉にマイナスイメージを持つ人間というのがなんと皆無に近い。
これを使い最高のタイミングで上手いこと刺激してやれば、人すら殺せるのではないか。
それくらい大きな力を持ったものなので、上手く使えば当然素晴らしいアイテムとなる。
何かから抜け出したい時、とりあえず現状を変えたい時、
人によって程度の違いはあるだろうが、自分のどこかに気持ち悪さを見つけて、
そこから解放されることをイメージすることによって、必要な勇気を満たそう。
手放せば意外とどうということはなかったなんてもんだぜ。
逆にそうまでして手放して、あまりにもどうということがあった場合、
それこそが本当に大切なものだと思えるだろう。
しかしまあ、程度が大事ですよ。
最後にこう言っておくだけで何を言ってもだいたい問題視されずに済む法則が発動しろ。
自分の顔が溶けだしたら誰でも驚くしなんとか阻止しようとするだろ?
でも指先くらいじゃ人間なかなか動かなかったりするわけだよ。
俺なんかはもう汚染水に塗れに塗れてるんだけどもね。
まあそれは何故かというならば、再生しやすいと勝手に思っているからだ。
ちょっとくらいなら指先がなくなっても後から生えてくるような気がしている。
捌人目的には生えてくるけど、拾人的にはどうかな?
YAZAWA的に言ってみたのだけれど。
まあ生えてくるわけがなかったんです。
傷が治るとかいうのはただ新しく作られているというだけの話であって、
新しく作られることすらない部位も人間の中にはあるわけです。
もちろん再生能力を持った部位も人間の中にはあるわけですけどね。
確か火を吹くための部位も人間の中にはあったんじゃないかな。
水を吸うための部位も人間の中にはあるわけですからね。
やはりこれから進化していくためには、良い部位を大切にしていきたいですね。
自らの嫌いな食べ物を思い出した話。
私はここ数年嫌いな食べ物はないということで過ごしてきたし、他人にもそう言っていた。
しかし実はとても嫌いな食べ物があったことをこの夏に思い出していたことを思い出した。
それは、キュウリであった。
とはいっても、普通の状態のキュウリなら別に嫌いではないのである。
温かいキュウリが駄目なのです。
ハンバーガーに入ってるピクルスとかは普通に食える。
ごく一般的なキュウリが温められて出てくると食べられないよ!が発動する。
なんか実家に帰ったら夏野菜カレーとかいってカレーが出てきたんだけど、
その中にキュウリが入ってたわけ。
一口食って温かいキュウリが嫌いだったことを一瞬で思い出し、もう手を付けなかった。
実は温かいキュウリが嫌いというのは昔日記のプロフィールに書いていたりもした。
まず夏野菜カレーにキュウリを入れてくる家の食生活ってなんなの?
キュウリごと気が食えなかった自分自身に軽く引いたけどね(苦笑)
そして人にこの話をしたらキュウリをカレーに入れることに引かれたけどね(苦笑)
沖縄ではピーマンをカレーに入れるらしいが、これはその比ではないな。
もし自分の実家でもやってるという人がいたら、気持ち悪いからやめとけ。
人々は記事を書くためにある程度の文章を確保しようとするが、そんなものは必要ない。
大切なのは枠が確保されていることと、書きたいことが定まっているということ。
この二つが揃っている時、文章の長さに関係なく、メッセージは完成している。
1行でも1000行でも同じだ。
本体以外は全部アクセサリーだ。
アクセサリーに力を入れてしまうと、本体に自信がないからだと思われても仕方ない。
それに本当に伝えたかったことは伝わらず、意味のない部分だけが記憶に残される。
伝えたいことを伝えるためには1行の方が良いとすら思える。
ではなぜ我々は文章を飾り付ける!?
そこに自分自身を作り上げるためだ!!
飾り付けの一つ一つが俺達を形作り、そこに俺を存在させるんだ!!
ちなみに読者にメッセージを投げかけるのは特に書くことがない時にやることだ。
本当に書きたいことができたら、そこに読者がいるかどうかなんて関係ないんだからな!!
良いセリフっぽいことを言って本音の部分をうまいことごまかしたつもりだ。
空が太陽を抱き まどろむ君は僕に しつこいほどディープな キスをせがみ
ここんとこ思い出がオーバーフローぎみ。
仕事中も考えているのは過去のことばかり。
記憶が脳内ストレージの許容量を超えてしまったのではないだろうか。
適度に忘れるということができない哀れな上位種族。
今まで出会った色々な人が際限なく話しかけてくるせいで、
ついに最近無意識にその人たちに返答をしてしまう症状を発症した。
本当に声に出てしまっている。
よく過去の会話を思い出してベストアンサーを模索したりするんだけども、
それが日常的に行われているような状態になってしまっており、
しかも顔は当時のことを思い出して軽くニヤついているというこのキモさ。
これ冗談抜きに、本当に病気なんじゃないかと思うんですが。
私の中には未だに藤乃さんと付き合っている私もいるということにもなりますな。
誰それの後輩である私もいれば、先輩である私もいる。
しかしよく出てくる人とほぼ出てこない人がいますな。
まあそんな分析をするよりも、今目の前で起こっていることに焦点を合わせるべき。
今起こっていることも理論上過去になれば考えられるようになるとはいえ、
今起こっていることに今対応できないというのは人として終わっている。
この精神的な障害を克服しなければ、社会人としての明日はないと思っている。
少しくらい未来のことを考えて生きた方がいいのかもしれないにぇ。
にぇにぇにぇ!
02 | 2025/03 | 04 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | ||||||
2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 |
9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 |
16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 |
23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 |
30 | 31 |
01 02
07 10 11
01 02 03 04 05 06 07 08
01 02 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
01 02 03 04 05 06 07 08 09 10 11 12
09 10 11 12