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虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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もし物語を作るなら、ひたすら一つのことを続ける話が面白いかなと思う。

ただなんかよくわからない場所から家に帰る話とか。

大きな穴をひたすら下りていく話とか。

僕がジャルジャルを好む理由はこのあたりにあると思う。

内村「あいつらいっつもこうなんだよ、一つのことをずっっっっと(笑)」

そして中二の頃からずっとこんな話が作りたいと思ってた話というか設定が一つある。

人ではなくて剣が主人公なんですよ。

その剣はある敵を倒すために作られてその敵を倒すために生きてるんですけど、
もちろん自分では動くことはできないので人に頼るわけです。

でも人はその敵を倒すためには作られていないので、簡単に死ぬわけです。

そんなことを繰り返しながら、剣には様々な人とのドラマ、そして知識が蓄積されていく。

そして、やがて剣は敵を倒せる人間と出会うことができるのか?というね。

一人目の人間に関してはまるでその人が主人公であるように描くわけです。

剣の一人称は「俺」なので、語りの部分は全部人だと錯覚させる。

人間以外が主人公の物語でも人間の様に話させる手法は一般的ですしね。

ただ、そもそも人間が主人公じゃない話って相当少ないですよね。

だからやりたいと思ったんだ!

cieloさんに何かオリジナリティのある話はないか?と聞かれて、
人以外が主人公の話とかどうですかと聞いたらそんなの絶対やだって言われたけどな!

現実的には、剣のデザインさえ良ければ行けるだろうな!キリッ
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夏休みの宿題といえば読書感想文。

私はこれが大嫌いでね、いつも最後まで取っておくどころか、
全く出さなかった年もあったくらいでした。

今にして思えば、たった1000文字足らずになに苦労してんだって話ですけどね。

大学なら下手なレポートでもそれくらいは書かないといけないでしょう。

それに比べてあんなお題まで好きに設定できて内容に規則も無いものを、
なんで今まであんなに嫌ってたんだろう。

だからといって今の感性で読書感想文を書いたら酷いものができるでしょうけどね(笑)

ちなみに作文コンクールで何度か審査を突破したことはあります。

確か中学2年の時だったかな。

小学1年の時もあったんですが、その時は親の力でしたからね。

そういう意味では文章を書くこと自体は苦手ではなかったようですが、
嫌いだったことには違いないですね。

今もなんでこんなに記事ばっかり書いてるのか自分でも理解できないんですけど。

まあ、この事態を引き起こしたのは自分の業ですから、しっかり消し去らなければね。
3rdシリーズも今季で最後か、長いようであっという間だったようで長かったな。

何が長かったって始まるまでが相当長かったよね(笑)

ビブモン10匹公開したのって2ndシリーズラストですよ。

その間なんと1年5ヶ月の更新停止、正確には公開停止か。

その間に実時間上では3rdシリーズ終わっちゃいましたからね。

始まる前に終わっていたという謎のシリーズ。

そして現在、4thシリーズが同じ運命を辿ろうとしている…

それでいいのか拾人!?

お前の熱意はこんなものだったのか!

拾人「いや、いいよ。」

むしろ何も問題ないよ。

基本的に時間なんて概念はもともと虚言の季節にはありませんから。

そういう意味で今シーズンは最後に年表を提出して頂きますけど、
略称は「虚年」ということでお願いします。

年表の記事で説明するわけにはいかないからここで説明させてもらうけど、
各事項の月日はあくまでも該当記事の記載されている日とします。

実際に実時間上で更新された日ではないということです。

つまり、私の誕生日は9月22日であり、当日に誕生パーティーをやったとしますね?

誕生日は22日という事実は変わらないわけですが、パーティーを23日の記事として書いた場合、
虚年においてはそれは23日に起こった出来事ということになるわけです。

あくまでも「虚言の季節の年表」であるということですよ。

まあ、実時間上で何か重大な出来事が起きた時は注釈として加えますけどね。

つまり何が言いたいかというと…

※このブログはフィクションです。
今日は俺の出番も今季最後ってことで、菌様を文章でぶち殺す。

あのクソ人格破綻者には一言物申しておかねーと気がすまねえ。

まずテメェは何のために語学ばっか勉強してんだ!?

そうやって身につけた語学を煽りの道具にしか使わんとか、頭湧いてんじゃねえのか?

辺りかまわずワケのわからん煽りを繰り広げた挙句、
そいつらから見ても明らかに全然基準に達してない絵しか持ってこず、
その癖「これを理解できないお前らが悪い」みたいなその態度。

なんなんだこのクソガキは!?

お前は何がしたいんだよ?

何がしたくて美術部に入ってきたんだよ?ぁあ?

風紋際でもわざわざ針金ブースの横に陣取って、あんなゴミみてえなちっせぇ絵描いて、
クオリティも無ければ迫力も無いただの時間の無駄遣いじゃねえかッ!!

マジで馬鹿なんじゃねえのコイツ!?

俺は今までの人生でここまで終わってる奴に会ったことがねえわ。

最初から敵視してたと思ってんじゃねえぞ!

どれだけ俺がお前に失望させられたか胸に手を当てて考えろやボケ!

お前程度の奴が見下せる人間なんかどこにもおらんわ!

お前みてぇな奴は自分で自分の品格を下げ続けてる自覚も無い屑だ。

お前が人に比べて優れてるところを言ってみろよ。

どうせ人間性の欠片もないようなことしか言ってこねえんだろうな。

虚しい人間が。

お前の絵しか並んでない展覧会とかぜってー行かねえ。

クソ面白くもねえクソスベリ展覧会だアホが。

クソからはクソしか生まれんわ!

他人の絵は批判するくせに、自分が突っ込まれたときは適当な言い訳で逃げやがって。

駄目なモンは自分のモンでも駄目だったと認めろ、中途半端なんだてめえは。

中途半端な何の特徴もないクソだ!

そもそもお前の絵ってバキじゃねーか。

どう見てもバキでしかねえんだよ。

「菌様の描きたい絵ってバキなの?」って聞いたことがあったな、お前の答えはこうだ。

「いや、あの絵には嘘がある」

キリッじゃねえよッバーカ。

なに原作批判してんだお前?マジで馬鹿なんじゃねーの?

てめえはバキの真似がしてーのかって言ってんだよ!

クソ虫だてめーは!

なにがあの絵には嘘がある…もうガッカリだわ。

完全に自分は優れたものっていう考え方が染みついちまってんだろうなあ!

もうお前に反論の余地はねえんだ。

もし俺を否定したいならただ一つ、結果を出せ。

お前確か地球守るために鳥取大学に来たんだったよな。

守れよ、お前の全力をかけて。

今までの俺の憎悪が消えるわけじゃねえが、お前のことは認めてやるよ。

ただな、周囲の人間を守るどころか攻撃してるような奴に地球が守れると思ってんのか!

お前一人で地球守る気か?ガキが。

そういうことだからまあ、頑張れ。
生きることに対して幸福感を得るというのは非常に難しい。

その理由は、大半の人間がただそこに生きているからではないだろうか。

幸福感というものは、少しでも自らが積極性を持った物事からしか得ることはできない。

それはその感覚が満足感ではなく幸福感だからだ。

満足すればよいというのであれば、諦めで代用することもできる。

しかし幸福であると感じるためには、それに対して積極的に取り組むことが必要になる。

自ら定めた目標を現状の自身を変革して達成する以外にこれを得る方法はないからだ。

積極的に生きている人間はいるか?

積極的に生きていないのであれば、幸福になれるはずがない。

積極的に生きるとは、常に新たなことに取り組むということだ。

自身が現時点で可能な物事であればそれをより高める為の努力を、
不可能な物事であればそれを可能にする為の努力を常に行うことが積極的に生きるということだ。

こんなことができる人間は限られているのだろうか。

物理的な問題で可能か不可能かと言うならば、全ての人間に可能である。

そこには初めから精神的な問題しか存在していない。

精神的な問題は現代の科学準拠の思考を持つ人間には非常に立ち入り辛い部分である。

ほぼ全てのことで例外が成立する世界でもあり、論理的に話すことが難しい。

例を挙げるならば、例え男の体に生まれたとしても女に好意を抱くとは言い切れない。

それどころか、自身を男であると認識しないといった事例も、当り前のように存在している。

このような根本的な部分をも揺るがす例外の存在により、
全ての主張は端から正誤を見られず個人の主張としてある意味擁護され、
またある意味では信用するに足らないものと定義付けされている。

精神的な世界では否定する方が簡単であり、そういった主張の方が強力でもある。

自らの主張を通す為には一挙手一投足に注意を払わねばならない。

それが論理的な攻防だ。

しかし、この論理的な思考に囚われてしまったことが人間の成長に限界をもたらした。

科学的に根拠のある範囲内でしか人間の能力は発揮できないと定義付けてしまった。

そしてこともあろうに、現代人はそれを「信じた」。

結局はここだ、如何なる情報が出てきても、最終的に人間がやっていることは変わらない。

信じるか否かの話だ。

実際にそういったデータが現れたとして、その調査方法は本当に適切だったのか?

調査環境はどういった要素を想定し、実際にはどういった環境になったのか?

本来、現代の理論上ではこれら全てを理解していなければ、何も論じてはならないはずである。

しかし実際には、これらの情報は開示こそされているものの、無論全ての人間に対してではなく、
真に全てを掌握しているのは限られたその分野の研究者であり、
大半の人間はそれを周知の事実と信じて使っているだけにすぎない。

このように根本的な部分において信じるという行為が行われている。

数式を扱う工学の世界にあっても、これほどまでに経験式が蔓延る現状は何だ?

人間はまだ何も分かっていないのではないか。

それでも正しいものを信じたのであれば、望んだ結果は出るだろう。

そして自らの行為について信じるという認識を持ち、自身の精神と向き合った時、
精神的な壁を突き破る力を得ることができるだろう。

つまり、真意が科学的に判明されていないものを信じることができるだろう。

結局のところ、そうして最終的に最も大切になるものは、
自身の目標が達成できると信じることができるかどうかだ。

その段階を経ずして生きることに積極的になることは不可能だ。

積極的になることができれば、幸福感はいずれ必ず得られる。

まずは自らが何かを信じることができることの証明として、水道水を飲んでみることだ。
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総括」最終更新日:2014.03.09

年表」最終更新日:2012.09.17

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