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2月は好きなことを書けるスペースが物凄く少ないということが判明してしまった。
正直大して何もしてないのにこんなに埋まるものかと驚いている。
このブログも世間と同じく、色々と変化のある時期に入っているというわけなのです。
捌人目でございます。
少し丁寧な方が印象も良い方向に変わるだろうということで、変化を重視した記事にします。
このノリもこの記事限りのことなのです。
変化を重視すればこそ、同じ流れは二度と無い方が良いという話もございますので。
少し補足をしておく必要があるかもしれないということで申し述べておきますが、
1~3月は1日1記事更新をすることにより、ちょうど90記事の更新とします。
ブログが始まった当初から常に意識してきたことですが、
毎月キリの良い数字で終わらせておくことで更新漏れなどの発見につながり、
効率よく毎日更新ができるということなのです。
虚節では毎月30or35記事としていますね。
2月だけは特殊で28日なのでこれを利用して記事数を変則的に調整しています。
昨年は確かそれほど意識せず更新したと思いますが、今回は初の試みです。
もうすぐ追いつくというところで余裕を見せて記事数を増やすなんてとんでもないですからね。
追い付くときには徹底的に追い付いてしまわなければならないのです。
追い付いた後が新の戦いの始まりなのであって、いつまで前座をやっているのでしょうか。
虚節に心底ガッカリしている方も多いことと存じます。
こんなに長い期間をかけられるのなら1年のブランクを埋めることなど大して難しくありません。
「順当に達成する」という意識で臨みたいものです。
何かを達成するということへの挑戦は、虚節では常に行ってきました。
中にはかなり達成の難しい物もありましたが、期間は長くとも今回の難易度は低いのです。
ただ1日2記事書いていけばいつかは追い付けるわけですからね。
何のために不定期更新にせず元のペースに戻すのかということですが、答えは簡単です。
それを達成しないと書けない記事があり、今私はその記事がとても書きたいからです。
その記事を書いた直後に不定期更新になる可能性、もしくは更新終了の可能性もあります。
まあ私の言っていることですから、どこまで信じるかは皆さん次第ですけどね。
とにかく用意された枠は全て埋めてしまわなければならない。
言わば拾人は記事を書く機械なんですからね。
あの日記がなければ、私は今ここにいないのです。
…といったような事をこの前壱人目が言ってましたよ。
僕はそれを横で見ていてなるほどと思いました。
この男は馬鹿だ。
ふぅ、ここまでくりゃ虚節も安泰だろ。
お元気ですか皆さん。
こっちは相変わらずしょうもねえブログやっとります。
いよいよ5番目のシリーズを用意しろってことになったみてーで。
クソ変わり映えのしねー能書きでよけりゃいくらでも書いてやるよ。
あと嘘か、信じるも信じないもお前次第だっつってな。
そもそもこの世には嘘とホントしかねーんだ。
本当のことばっか追ってちゃ息も詰まるだろうよ。
そんな奴らはココにくりゃ、良いモンが見られますよ?
多分な。
絶対なんてこたねーんだからそりゃ仕方ないわな。
ホントでも嘘でもないような話だって少しくらいはあるだろ。
今季はそういうのを掘り起こしていく感じにするか?
つーかそれ、虚節だから。
全部嘘ならホントのこと喋ってるのと一緒だろーがよ。
まあ、口調だけよくある感じにしてみても思考が飛んでんのよ。
変人は凡人にはなれない。
そんなことを痛感しながら5thシリーズが始まるよ。
※このブログはフィクションです。
上手い絵はあります。
まずはこれが言っておきたかったこと。
後は「人に見える」というのがどういうことかという部分を説明するのが一番早いか。
ようするに、線1本引くにも時間がかかるということです。
全ての作業にはその人の時間を使わなければならない。
少しそういう視点を加えて見ると、絵のどこに力を入れているのか、
また、どういった部分を描き込んでいるのか、工夫しているのかが見えてきます。
そしてそこからその人の性格なんかも見えてきてしまうわけです。
これは癖とはまた違った部分ですね。
癖というのは例えばその人の絵を何枚か並べてみると右向きの絵が多かったりとか、
同じようなポーズが多かったりとか、右目が大きくなってたりというものですが、
性格というのは例えば「この人は鳥ばかり描くな」みたいなことと同じようなものです。
「この人はこの部分の描き込みは絶対に疎かにしないな」的な。
だから一般的に下手だと言われている絵にも見所が出てくる。
絵は人の心が表れたものだということを実感できるようになったわけです。
他の人の絵を見て描いたものであったとしてもこれは変わりません。
その人が何を思って、どうやってその絵を描いたのかが大事なのです。
仮に今合評会に参加できたとしたら、その人がどこを重視しているか当ててみたいですね。
個人的にそう思うということでもあり、ちゃんとした理由もあるわけです。
その一つが言い訳です。
言い訳がしやすいという状況を作っておくのが大事であると共に、
もっというと言い訳すらもする必要がないという状況が理想的なわけです。
そもそも人はなぜ言い訳をするのかという部分に着目すると、
まあそれ以前に何か約束をしたり宣言をしたりしたことが達成できないからだと思います。
最近で言えばマニフェスト詐欺なんて言葉も飛び出しましたがね。
言い訳をしないように生きるというのは人から信用を得る上で大事なことですよね。
一度や二度なら許されても何度も言い訳ばかりしていると信用は地に落ちます。
そうなれば、一度失った信用を取り戻すことなんてもう不可能に近いのです。
じゃあどうすればいいのか、最初から言わなければいいんです。
でも、それができない環境というものがあります。
それがブログ、なぜなら何かを言うことによって記事が作られるのだから。
何かを言わなければ何も始まらないわけです。
じゃあそのエクスキューズはどこで得ていくのか。
最初から信じてもらわなければいい。
とまあ、こういうことなんですよね(笑)
だからもうすぐ本来のペースに追い付きそうだと言いながら半年そのままかもしれませんし、
下手したら突然二度と更新されなくなるかもしれないのです。
虚言の季節はそういうものだということです。
信用されない代わりに好き放題言えるというね。
どれほどの嘘がこのブログを通して皆さんに届き、その中のどれほどが信用され、
間違った私の人物像を作り上げたのかは私の想像の及ぶところではありませんが、
とにかく、このブログから想像できる人物が画面の向こうにいると思ったら大間違いですよ。
それは、ある程度上手い人を片っ端からお気に入りに登録して、
その人が登録し返してくれるのを狙うというもの。
少なくとも1枚も絵を投稿していない段階では絶対にできない遊びだ。
新着イラストのページに張り付いてめぼしい作品を狙うというこのゲスさ。
本来ならそれは普通の使い方なんだけども、描く側がこれをやることに意味がある。
下心が見え見えなわけです(笑)
それにも負けずに応えてくれる人はどれくらいいるのかというね。
何でこんな人がこれほど評価されてるのかという光景を見た人もいると思うが、
その人のお気に入り登録数を確認してみると仕掛けがわかってくるかもしれない。
自分が知っている人では、鉛筆画を写真に撮って上げてる人で被お気に入り300の人が、
お気に入り登録数2000を超えてたなんてことがあった。
というか、この人を見てなるほどと思ったわけです(笑)
(まあその人が自分をお気に入り登録してくれたのが事の始まりなんですけどね)
でもブックマーク1000超えてるような人は絶対無理なので期待してはいけないね。
そこまでいくと本当に他人に興味がなくなるんじゃないかな。
評価が人から数字へと変わっていくわけだ。
まあそれはさておき、この遊びのゲスさは実際に絵を上げてこれをやった人しか判らない。
体験したければまず絵を上げてみることだね。
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