虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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壱:今回は私を構成する要素の中でもかなりの上位にあり、
さらに性格によって左右されない要素である絵について語って頂きたいと思います。
肆:自由に話題設定ができるようになって最初の話題がこれか、なかなか悪くねえな。
弐:そんなことよりツンデレの「デレ」はデレデレの「デレ」なのか「照れ」なのかについて
肆:語るわけねえだろ、勝手に調べとけや。
伍:私にとっての絵の特異性とは、私の存在と同じく性格による影響を受けないということ。
つまり絵を描くという行為は全ての性格と同時に共存することができるのだ。
陸:まあ絵といってもイラストですから、絵を描くなんて高尚なものではないですけど。
玖:どういった形態をとるにせよ、美しいものを生み出すという行為に優劣をつけるべきではない。
それでも他者への批判が必要なのは、個人による盲目的な自己満足を避けるためだ。
肆:まあ、ようは絵画の要素を期待してこの記事を読んでる奴は今すぐ帰っていいぜってことだな。
壱:皆さんもご存知の通り、このブログ内でのほとんどの「絵」とは「イラスト」を指します。
参:ところで、例えば今回のアートバトルの原稿を描いたのは、少なくとも俺じゃない。
…やっぱり「性格」って決めちゃうと少なからず影響を受けるよね。
肆:戦国BASARA2の本田忠勝の突進形態みたいなもんだな。
陸:それぞれの性格によって、絵に対して好みの傾向があるんでしょうね。
肆:たとえば俺はスタイリッシュな絵が好きだな。
武器持ってるっつってもそれを使いこなせてるっつう実感が欲しいわけだ。
今回の黒髪の女が持ってる刀は煌刀「死紋」っつうレーザー刀だ。
これによって刀同士の斬り合いに必ず勝てるってわけだ。
男が腕につけてるナイフはスライド式で本来はブレードとして攻守両方に使われる。
まあ武器やら衣装やらを描く時はそれなりに設定を作った上で描いた方が自然だな。
あとはキャラに動きをつけるのとかは得意だ。
伍:私が好む絵柄は神秘的・抽象的なものが多い。
今回は「癒し」での黒髪ではない方の女のデザインを担当させてもらった。
私は実際にその服を着たときに動きやすいだとか、そういった実用性は本来無視している。
絵としてそれを見たとき、幻想を感じるような形状こそが必要なのだ。
私の好む絵の傾向として、これは生物だけに限定されるものではない。
つまり私は平面でこそ成立する構造も躊躇なく生み出すことができる。
陸:ということは、「理想の女の子」を描いたのは参人目ですか?
肆:確かに普段からマンガばっか読んでるから目は肥えてるってのはあるしな。
参:勘違いしないでほしいけね、それってつまり、読む方専門ってことじゃない?
…強いて言うなら模写とか?
弐:アレを描いたのは俺だ
肆:…まさかの。
弐:一般的な男子が部屋の中でやることなんてたかが知れてんだろ
ネット・個人的趣味・テレビ観賞・読書・精処理…これもその範疇だ
陸:今の発言は放送的に大丈夫なんですか?
壱:当ブログ的にはオールOKです。
肆:ちょっと待った、つーことは参人目が絵を描くことはないってことだな?
参:まあそうなるけど、俺はもっと重要な立場を担ってるってことだよ。
…自分の作品に対する評価。
陸:確かにそれって結構重要なことですよね。
評価してくれる人がいてこそ、洗練された作品が完成するというものです。
肆:自分自身でもか?
陸:自分自身といっても自分の中の他人なわけですから、
自分の作品であるという要素を排除して冷静に評価することができるはずですよ。
肆:フーン、ものは言いようだな。
捌:ここで登場!
みなさん、忘れてませんか?
今回本当に考えなければならないことは、もっと別のところにあるはずですよ?
肆:ああ、そうだった。
結局のところ、中心になって絵を描いてるのは誰なんだってことだろ?
伍:そうだ、ここまで言ってきた「描く」とは実際に絵を描くという行為ではない。
私達は絵柄やモデルに影響を与えているだけにすぎない。
陸:確かに、僕たちは十人いますけど、趣味が絵を描くことなのにそれに特化した性格がない…
不自然ではありますよね。
参:俺なんかは実質絵を描いたあとに役割を果たしてるわけだからね。
…というかむしろ関与してないといってもいい気さえするね。
陸:ひょっとすると、僕たちも知らないもう一つの性格が存在するんでしょうか?
肆:いや、多分それはねえな。
伍:以前の記事でも書いたと思うが、絵を描くという行為への没頭は性格の分化が行われる前、
つまり絵とは私が人間として好きになったものに当たるわけだ。
よって、単なる性格でしかない私達には実行に関する権限は与えられていない。
捌:とは言うものの、例えば私が私といったところで、それは捌人目としての私になってしまいます。
だから「私が絵を描いている」という表現は、この中の誰にもできないわけです。
つまり、私たちが言えるのはこれだけです。
伍:実際に絵を描いているのは私達ではない誰かだ。
漆:初めてまともな結論が出ましたね。
これまともなの!?
さらに性格によって左右されない要素である絵について語って頂きたいと思います。
肆:自由に話題設定ができるようになって最初の話題がこれか、なかなか悪くねえな。
弐:そんなことよりツンデレの「デレ」はデレデレの「デレ」なのか「照れ」なのかについて
肆:語るわけねえだろ、勝手に調べとけや。
伍:私にとっての絵の特異性とは、私の存在と同じく性格による影響を受けないということ。
つまり絵を描くという行為は全ての性格と同時に共存することができるのだ。
陸:まあ絵といってもイラストですから、絵を描くなんて高尚なものではないですけど。
玖:どういった形態をとるにせよ、美しいものを生み出すという行為に優劣をつけるべきではない。
それでも他者への批判が必要なのは、個人による盲目的な自己満足を避けるためだ。
肆:まあ、ようは絵画の要素を期待してこの記事を読んでる奴は今すぐ帰っていいぜってことだな。
壱:皆さんもご存知の通り、このブログ内でのほとんどの「絵」とは「イラスト」を指します。
参:ところで、例えば今回のアートバトルの原稿を描いたのは、少なくとも俺じゃない。
…やっぱり「性格」って決めちゃうと少なからず影響を受けるよね。
肆:戦国BASARA2の本田忠勝の突進形態みたいなもんだな。
陸:それぞれの性格によって、絵に対して好みの傾向があるんでしょうね。
肆:たとえば俺はスタイリッシュな絵が好きだな。
武器持ってるっつってもそれを使いこなせてるっつう実感が欲しいわけだ。
今回の黒髪の女が持ってる刀は煌刀「死紋」っつうレーザー刀だ。
これによって刀同士の斬り合いに必ず勝てるってわけだ。
男が腕につけてるナイフはスライド式で本来はブレードとして攻守両方に使われる。
まあ武器やら衣装やらを描く時はそれなりに設定を作った上で描いた方が自然だな。
あとはキャラに動きをつけるのとかは得意だ。
伍:私が好む絵柄は神秘的・抽象的なものが多い。
今回は「癒し」での黒髪ではない方の女のデザインを担当させてもらった。
私は実際にその服を着たときに動きやすいだとか、そういった実用性は本来無視している。
絵としてそれを見たとき、幻想を感じるような形状こそが必要なのだ。
私の好む絵の傾向として、これは生物だけに限定されるものではない。
つまり私は平面でこそ成立する構造も躊躇なく生み出すことができる。
陸:ということは、「理想の女の子」を描いたのは参人目ですか?
肆:確かに普段からマンガばっか読んでるから目は肥えてるってのはあるしな。
参:勘違いしないでほしいけね、それってつまり、読む方専門ってことじゃない?
…強いて言うなら模写とか?
弐:アレを描いたのは俺だ
肆:…まさかの。
弐:一般的な男子が部屋の中でやることなんてたかが知れてんだろ
ネット・個人的趣味・テレビ観賞・読書・精処理…これもその範疇だ
陸:今の発言は放送的に大丈夫なんですか?
壱:当ブログ的にはオールOKです。
肆:ちょっと待った、つーことは参人目が絵を描くことはないってことだな?
参:まあそうなるけど、俺はもっと重要な立場を担ってるってことだよ。
…自分の作品に対する評価。
陸:確かにそれって結構重要なことですよね。
評価してくれる人がいてこそ、洗練された作品が完成するというものです。
肆:自分自身でもか?
陸:自分自身といっても自分の中の他人なわけですから、
自分の作品であるという要素を排除して冷静に評価することができるはずですよ。
肆:フーン、ものは言いようだな。
捌:ここで登場!
みなさん、忘れてませんか?
今回本当に考えなければならないことは、もっと別のところにあるはずですよ?
肆:ああ、そうだった。
結局のところ、中心になって絵を描いてるのは誰なんだってことだろ?
伍:そうだ、ここまで言ってきた「描く」とは実際に絵を描くという行為ではない。
私達は絵柄やモデルに影響を与えているだけにすぎない。
陸:確かに、僕たちは十人いますけど、趣味が絵を描くことなのにそれに特化した性格がない…
不自然ではありますよね。
参:俺なんかは実質絵を描いたあとに役割を果たしてるわけだからね。
…というかむしろ関与してないといってもいい気さえするね。
陸:ひょっとすると、僕たちも知らないもう一つの性格が存在するんでしょうか?
肆:いや、多分それはねえな。
伍:以前の記事でも書いたと思うが、絵を描くという行為への没頭は性格の分化が行われる前、
つまり絵とは私が人間として好きになったものに当たるわけだ。
よって、単なる性格でしかない私達には実行に関する権限は与えられていない。
捌:とは言うものの、例えば私が私といったところで、それは捌人目としての私になってしまいます。
だから「私が絵を描いている」という表現は、この中の誰にもできないわけです。
つまり、私たちが言えるのはこれだけです。
伍:実際に絵を描いているのは私達ではない誰かだ。
漆:初めてまともな結論が出ましたね。
これまともなの!?
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