虚節イッター:記事を更新したいお年頃になってしまったようです
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あ な た と あ な た と あなたとあなたとあ な た と あ な た と あ な た は ロ リ コ ンだ↑☆
このブログを読んでいる人達に対してこのパクリギャグを使うと、
ほとんどの人がロリコンということになってしまう(人数的な意味で)
◎カテゴリー「一言」の追加を単に新たなカテゴリーが増えたと認識している人に言いたい、
違うよ、全然違うよ。
何がどう違うかというと、↑の一発ギャグだけでも記事が完成してしまうということ。
つまり、長い文章は読むのが疲れるという人にも対応できるようになったわけだ。
今の時代、ケータイ用の小説やブログにより、少量の文章を読むことを好む人間も多い。
これらの人間がこれまでの虚言の季節を否定していたとすれば、
今回の変化によって読者の大幅な増加を狙うことができるかもしれないのだ。
否定する前に知りすらしないので実際には何も変わらないが、この変化は大きいはずだ…
◎宗教信者というのは、何らかの病気の感染者と似ている。
他人からは狂っているようにしか見えない場合がある。
自分の行動次第で相手にも感染させることができる。
(場合によっては、方法は大きく異なるものの相手を殺すことさえある)
病んだ人に対しては逆にワクチンを提供してあげることができる。
本当は無いのに黒いオーラ的なものが周囲を覆っているような雰囲気を漂わせることができる。
とりあえず、これだけいろいろ言ったのに何の反撃もしてこなかった創価学会の心の広さ、
これには本当に脱帽しましたね。
まあ、つまりは知られない方がいいこともある、と…
◎新しい物事を知った人間がとる行動は実に単純である。
それが自分にとって利益をもたらすか、あるいは害を与えない情報である場合、
他人に話さずにはいられなくなる。
これらの情報は、例えばある事柄についての見方が変わるようなほどに影響がある場合、
「情報の公平性を保つため、より公平に広められるべきである。」
…というのがインテリジェント・デザインを公教育に持ち込むということの基本理念である。
異論がある人はぜひ「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」へ入信しよう!
◎このブログの基本理念はフィクションである。
ところがこの文一つとっても、基本理念が「フィクションであること」であるのか、
基本理念そのものがフィクションなのかについては言及されておらず、
この言葉の奥には「結局は読者が判断するしかない」という真理が解き明かされているのである。
解釈に幅を持たせる理由は双方が同時に発生する場合も起こり得るからであり、
「独立」の要素を取り入れなければ、矛盾を発生させる場合も多々起こり得る。
「独立」の要素ももはやこのブログにとっては必要不可欠なものとなっているのだ。
例えば、今回の記事も「◎」で区切られた話題一つ一つは独立と定義されている。
何か関連性があるような気がした人もいると思うが、違うよ、全然違うよ。
一度も触れたことがなかったが、フィクションであることがフィクションであると定義されたとき、
そこには真実が生まれる可能性があるということを、忘れないでほしい。
つまり、結局このブログにおける全ての記事は何かをフィクションと定義することで生まれるのだ。
だからこそ、「このブログはフィクションです」は、
このブログ唯一の「フィクションの定義に依存しない真実」である。
このブログを読んでいる人達に対してこのパクリギャグを使うと、
ほとんどの人がロリコンということになってしまう(人数的な意味で)
◎カテゴリー「一言」の追加を単に新たなカテゴリーが増えたと認識している人に言いたい、
違うよ、全然違うよ。
何がどう違うかというと、↑の一発ギャグだけでも記事が完成してしまうということ。
つまり、長い文章は読むのが疲れるという人にも対応できるようになったわけだ。
今の時代、ケータイ用の小説やブログにより、少量の文章を読むことを好む人間も多い。
これらの人間がこれまでの虚言の季節を否定していたとすれば、
今回の変化によって読者の大幅な増加を狙うことができるかもしれないのだ。
否定する前に知りすらしないので実際には何も変わらないが、この変化は大きいはずだ…
◎宗教信者というのは、何らかの病気の感染者と似ている。
他人からは狂っているようにしか見えない場合がある。
自分の行動次第で相手にも感染させることができる。
(場合によっては、方法は大きく異なるものの相手を殺すことさえある)
病んだ人に対しては逆にワクチンを提供してあげることができる。
本当は無いのに黒いオーラ的なものが周囲を覆っているような雰囲気を漂わせることができる。
とりあえず、これだけいろいろ言ったのに何の反撃もしてこなかった創価学会の心の広さ、
これには本当に脱帽しましたね。
まあ、つまりは知られない方がいいこともある、と…
◎新しい物事を知った人間がとる行動は実に単純である。
それが自分にとって利益をもたらすか、あるいは害を与えない情報である場合、
他人に話さずにはいられなくなる。
これらの情報は、例えばある事柄についての見方が変わるようなほどに影響がある場合、
「情報の公平性を保つため、より公平に広められるべきである。」
…というのがインテリジェント・デザインを公教育に持ち込むということの基本理念である。
異論がある人はぜひ「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」へ入信しよう!
◎このブログの基本理念はフィクションである。
ところがこの文一つとっても、基本理念が「フィクションであること」であるのか、
基本理念そのものがフィクションなのかについては言及されておらず、
この言葉の奥には「結局は読者が判断するしかない」という真理が解き明かされているのである。
解釈に幅を持たせる理由は双方が同時に発生する場合も起こり得るからであり、
「独立」の要素を取り入れなければ、矛盾を発生させる場合も多々起こり得る。
「独立」の要素ももはやこのブログにとっては必要不可欠なものとなっているのだ。
例えば、今回の記事も「◎」で区切られた話題一つ一つは独立と定義されている。
何か関連性があるような気がした人もいると思うが、違うよ、全然違うよ。
一度も触れたことがなかったが、フィクションであることがフィクションであると定義されたとき、
そこには真実が生まれる可能性があるということを、忘れないでほしい。
つまり、結局このブログにおける全ての記事は何かをフィクションと定義することで生まれるのだ。
だからこそ、「このブログはフィクションです」は、
このブログ唯一の「フィクションの定義に依存しない真実」である。
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