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今日はちょっと趣向を変えて、実際に体験した夢を語るのではなく、
過去の夢を考察してみたいと思います。
過去の夢話でも触れた記憶力についてがメインになるかと思われます。
かなり根本的な部分に迫ることになりますが、自分が見ている夢のロケ地ってどこでしょう?
たとえば何度も見ているジャンプした体勢のまま浮遊する夢の舞台は小学校の運動場です。
今のところ何度見てもこれはかわっていません。
また、たまに見る広範囲を敵から逃げ回る夢の舞台はかなりの確率で実家周辺ですね。
毎回と言っていいほど田んぼとかを走り回ったり丘を登ったりしてます。
これらの例をはじめとして、ほとんどの場合は自分が今までに行ったことのある場所ですが、
たまにテレビなどで見たことがある場所の変形という形で謎の舞台が現れます。
例の毛利元就からのスタートだった夢、あの夢の舞台は大きく3つに分けることができましたが、
いずれも僕が行ったことのない場所でした。
スタート時は洞窟でしたが、ゲームにあんな場所は登場しませんし、
そもそも船に乗って川を渡るシーンなどありません。
2つめの舞台である学校も、今までに何かのドラマで使われたような雰囲気はあるものの、
直接的に「これはあの学校だ」とわかるわけでもなく、もちろん出身校でもありませんでした。
最後の場面であるその学校のグラウンドと体育館ですが、
グラウンドというよりは荒野に近い感じで、とてつもない広さでしたからね。
あんなグラウンドがある学校なんて確実に経営破綻すると思います。
というわけで、夢の舞台は記憶力と想像力が組み合わさった形で形成されるわけです。
しかもその質感たるや、たとえ想像の世界であっても明らかに本物ですからね。
ところが、夢の駄目なところは、ほとんどの場合、
自分は主人公でありながら見ることしかできないことです。
夢では自分の行動ですらはじめから決まっているに違いないんです。
もちろんそれを知ることができないから純粋に楽しむことができるわけですが。
夢というのは自分の中の他人が作り出した映画を見るようなものだと思いませんか?
時としてそれは普段の自分からは想像もできないほどのストーリー性を持って現れます。
これは自分を楽しませるためのものなんでしょうか?
それとも自分自身が秘められた可能性を実践する場としてこの方法を選んだのでしょうか?
とにかく、夢について現在メディアで言われているようなことがすべてだとは思えません。
例えば、脳の整理なのだとすれば、その過程でなぜ創造が行われるのか。
整理というものは本来、整頓することではないでしょう、基本的には処分することだと思います。
壊す過程で作り、それすらもまとめて最後にもう一度壊す…
それにしても、夢で見たものが記憶に残るかどうかの条件を解明した人はすごいと思います。
単純に何度も試験してアベレージを求めただけかもしれませんけど。
というわけで、最近の僕は夢を見終わったら一刻も早く目覚めたいんですね。
確か8秒以内に起きないと忘れてしまうんですよ。
つまり、寝てても提供されるだなんて、そんな魅力的なネタを逃す手はないわけです。
そこで一つ良い方法を思いついたんですよ。
ぜひ皆さんも実践してみてください。
「テレビをつけたまま寝る」
常套手段じゃねえか!しかも電気代の無駄遣いだろうが!
なんでテレビの内容が思いっきり反映された夢になるのはどうして?
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