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それまであった設定が変わってしまうことによって、存在そのものが変わることもあるよね。
メガシンカというシステムができたことでガルーラがトップに君臨してみたりとか。
探せば探すほど、色々なものが変わっていたし、変わってしまっていた。
虚言の季節も知らず知らずのうちに設定が変わってしまっているのではないか?
まず1記事目で高らかに宣言したはずの副業という設定、これは変わった。
日記はいつからか書かなくなってしまい、今はこのブログ1本になっている。
そしてかつての拾人は拾人目となり、壱~玖人目までを含めた総称となった。
探せば変わった設定はまだまだ腐るほどあるだろう。
でもそれをわざわざ説明しなくていいのは、半永久的に続くある設定のおかげだ。
私は虚節において、いついかなる時でも内容を問わず嘘をつくことができる。
だから設定が変わったことで嘘になってしまった過去の記事も存在していいんだ。
虚節においてはそれらの記事もたった今書いている記事と同等の価値があるんだ。
簡単に言えば枠を1つ埋めているという価値。
枠が全て埋まっていれば虚節の1つのポリシーが保たれることになる。
それはちょっとやそっとの小手先の努力じゃ作り上げることのできないもの。
それを形成している以上、どの記事も同様に価値を持っているわけだ。
…という設定を変更したい自分と、変更したくない自分が対立しているんだ。
今は力関係が同じもしくは変更したくない側が少し勝っているので、
私はまだ2013年12月の記事を書いているわけだ。
こんなに自由時間がなくなってしまった今なおそれだけ力を持っているこの設定。
その理由は、このブログのために日記をやめたせいだと思う。
日記の方が続いていればどの段階からでも不定期更新にできたはずだ。
でもそうはならなかった、ブログの方がより様々な表現ができたからな。
つまり、このブログはいつしかブログではなく日記になっていたんだよ。
これが一番大きな設定変更だったんだ。
日記とは虚節の1カテゴリーであり、同時に虚節そのものが今では日記なのだ。
動画記事も妄想記事も結局は日記なのだ。
虚節は日記なのだという設定の効力が強すぎるんだが。
僕の中の設定に「この設定がいつまで続くかを試している」というものが追加されている。
そしてこの設定がある以上は日記は続いていくだろう。
自分の死を除いて、何がこの設定を終わらせてくれるのだろうか。
私は変化し続ける出口のない迷宮にいつの間にか足を踏み入れてしまっていたようだ。
だって本当は、そんな設定は無いんだもの。
それは無いのに有るんだよ。
絶対的な設定よりもある意味ではもっと絶対的。
有りもしない設定を変えることはできない。
そうでしょう?
まあこの記事は、どの部分を嘘と定義するかで読み方が変わりますがね。
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