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中高大と英語を習ってきて、この2年後期をもって一応の終着を迎えた。
といってもまあ不十分なんだが、ある程度英語が身についたというのは間違いない。
いくらかの単語については脳内で日本語に翻訳しなくても理解できるようにもなってきた。
というわけで、日常生活の中に影響が出てくる場面も少なからずある。
ネットやってて特に思うのが、「ゲーム」っていう言葉から違和感を感じるってこと。
それこそ小学生の頃はゲームと言えば無条件にテレビゲームか携帯ゲームを指していた。
だから「ゲームは1日1時間」と言われればそう理解して納得できた。
でも今では、「ゲーム」、即ち「game」という単語の持つ意味を知っている。
するとどういうわけか、この台詞から違和感が感じられて仕方がない。
例えが簡単すぎてわかりづらいかもしれないのでもう一つ。
小さい頃は「バイオハザード」っていう単語が一種の化け物であるかのように怖かった。
今では「バイオ」から生物的な印象を受け、「ハザード」で災害と理解する、それだけだ。
意味を理解できるようになったこと自体は良いことだと思う。
でもあの「感動」はどこへいってしまったのだろうか。
「エクソシスト」とかさ、ブリッジして歩きまわって叫んだりしてるけど、そっちのことじゃないじゃん。
祓う側のことだとわかっててもまあ意味はわかるから納得はできるけど、この違和感。
無条件で楽しめた時代はもう理解してしまった今では取り戻すことのできないものになったんだね。
一般的にはどうかわからないが、俺にとってはこれはあまり良いこととは言えないな。
世の中ある程度の楽をするためには、その分の感動を削ぎ落していかなければならないのか。
そう考えると、幼い頃に楽しくなかった人生が今後楽しくなっていくことなんてあるのだろうか?
だって多分上の文に該当する人間のほとんどがいわゆるダメ人間と呼ばれるものだろ?
俺はそんな奴らみたいにはなりたくないんだ。
でも幼い頃に好きなだけ楽しんでしまうと、気付いた頃には楽をする資格を失っている。
このバランスは最終的には自分自身に委ねられるが、大部分は親が操作するしかない。
そう考えると、俺の親の教育は間違ってなかったんじゃないだろうか。
まあ親にも「なんで勉強してないのにそんなにできるのか」と聞かれたことはあるが、
してるよ、授業中にな。
お前ら授業をなんだと思って聞いてるんだ!?
…まあそんなことは置いといて。
子供の頃にはいろいろ楽しいことがあったんだよ。
おばあちゃんと一緒に料理教室に行ったりしてな。
今ではあんなの金の無駄遣いとしか思えんがな。
パンさえあれば生きていけるぞ。
660円あれば食パンが1日に36枚食えるんだよ。(しかも普通におつりがくる)
とか言いつつこの前カツ丼が280円だったから思わず買ってしまった。
…もはや最近の楽しみはこの程度ですわ。
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