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1・2・3月は過ぎゆくのが特に早いような気がしていたが、別にそんなことはなかったらしい。
夏休みだってまだ終わってほしくないとみんなが思っていたということは、
それだけ夏休みが早く終わってしまうと思っていたということですよね。
1ヶ月以上ある休みがまだ続いてほしいなんて思うってのはよっぽどですよ。
それだけ人間はゆったりした時間の中で生きていきたいと思っているんでしょう。
もはや休みなんてものがどうして存在しているのか疑問視するレベルの僕ですが、
当時はやはり、休みというものはいくらあっても足りないといった感じでした。
それはおそらく、それだけやりたいことがあったからなんだと思いますね。
絵に関してだけでも相当やりたいことはあったんです。
あんな絵が描けるようになりたいだとか、こんな技法が使ってみたいだとかね。
今ではだいたい自己満足程度にはできるようになってしまった。
クリアしたゲームを何度も遊ぶというのは、結構楽しみより面倒臭さが勝ってしまったりして、
一時はあれほど熱を出したのになぁという展開もまあ無くはないわけです。
そのような状態にあってもなお、絵を描き続けるということ。
これが自分の中で苦行にならなかったのは、唯一の才能だったのかもしれない。
しかし苦行にはならなくても、技術が成熟していくにつれ、自身の描いた完成形に近づくにつれ、
やがてそれは創作ではなく作業になっていくのではないですか?
毎回同じことの繰り返し、絵の完成度は上がっても、機械が作業しているみたいな感覚。
そして出来上がる写真の劣化版。
そういった理由から、画家は抽象画に走るのではないでしょうか。
時間をかければいいものが描けるとは言いますが、実際に時間をかけられる人間は少ない。
実はそのあたりに真理があるのだろうか。
時間をかけた絵なら、一つ一つは作業であっても、絵自体は作品と認識できないか?
あくまでも重要なのは自分自身の中での位置づけ、捉え方。
そこに面白味があるからこそ、続けることができるのでは?
それがなくなった作業に残りの自由時間をつぎ込むことは、やめた方がいい。
それでも今まで絵を描き続けてきたなかで、人間が出来上がってしまったんですな。
描かずにはいられないという中毒症状にも似た意志がどこかにある。
好きかどうかという次元を超越した感覚。
案外その境界を飛び越えることは難しくないが、逆にいえば故意にというのもほぼ不可能。
その道に入るかどうかという選択は(人によっては)故意なんですけどね。
最期まで乗り気じゃないまま終わることだって人生の中にはいっぱいある。
乗り気になれることがあるってのは、実は人生の勝ち組になれる権利を貰えたようなもんかも。
それを見つけることができなくても無気力ってわけじゃないんだが、
少なくとも見つける努力が不十分なのか、絶望的にド下手なのかだと思う。
好きなことがあるならそれをやればいいというだけの話だからだ。
それがいつの間にかそこにあったのは、本当に幸運だったのだなと今でも思っている。
こんなに時間のかかる趣味だけど、それにかける時間は多いほどいいかもな。
そしたらお前、1月2月なんて言わず、1年2年があっという間じゃないか?
結局時間なんて足りないものだよ。
「時間って何だ?」って聞かれたら「絶対に足りないもの」って答えることにします。
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