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この歳になってくると、考えが変わってくる部分があることに気付いた。
正直気付くのが遅かったような気がしないでもないのだが…
もう自分が動いてる場合じゃねえな、と。
既に主役ではなくなった世代の僕たちは、人を動かしていかないといけません。
具体的に誰かに指示して何かをさせるなんてことは無理にやらなくてもできます。
そういう職業についているのだから、むしろ業務としてやらなければなりません。
そうではなくて、人を動かすにはどうすればいいのかを考えねばならない。
例えば子供なんてものは、決まり切ったテンプレのような指示には従いたくないのです。
が、少し非日常的な指示が飛んでくると、途端に興味を示すものなのです。
それが365日24時間できる人間になれば、そこに需要が生まれる。
老後の稼ぎも安定するというわけです。
馬鹿な学生共は、今すぐに子供たちを教育しなければと、考えも無しに教師に飛び付き、
理想と現実の違いに打ちのめされ、それに向き合う頃にはもう子供のことなんか考えてない。
自分が現状に立ち向かえるかどうかだけで教室へ向かうようになってしまう。
子供もそんな人間に教えられたくないわけです。
俺は学生時代に教員になると言っている人間を何人か見てきたが、
その誰しもがコイツがなるくらいなら他の人間の方がマシだという奴ばかりだった。
何故そんなことが起こるのか。
それは、まともな人間は教員になるなんて馬鹿なことは考えないからだ。
何らかの原体験があって自分の中で確信がある人間は除外してもいいが、
それ以外の大半の人間は教育を考えずして教員になっている。
まあ原体験がある奴にしても、正直教わる側としての原体験じゃ意味ないよね。
ちょっと変わった見方をしてもいいよ。
今の教員世代っていうのは、自分のクラスに教師のいうことを聞かない奴らがいた世代だ。
そいつらの動きを間近で見てきたしなんなら話も聞いてきただろう。
つまり、同意できるかは別としてそいつらの気持ちが分かってしまう。
そこに来て日本人というのは、我を通すことに関してめっぽう弱い。
そういう人間にまともな教育ができると思うか?
思うなら彼らを応援してあげればいいんだけど、俺は思わないね。
だから俺は同窓会とかで教員として悩んでる人間がいたらアドバイスはただ一つ。
「辞めろ」だ。
まあそんな感じのことをいろいろ考えた結果、学校教育はやりたくないとなった。
そもそもこの記事で言おうとしているのは教育のことではなく人を動かすことだし。
例えに子供を出したところから流れが狂ったな…
流れを戻しまして、教育が人を動かすことに直接繋がるのが企業の中での教育です。
学校教育に一切興味のない奴でもさすがにそれよりは真面目に聞く姿勢があるだろう。
そういう場で俺の派閥を作ってしまおうという計画を秘密裏に進めることにした。
というのは嘘ですが、ちょっとした時に1人2人動かせる力くらいは持っておきたいよね。
てなわけで人を動かす方法について考える記事が今後少しずつ出てくるのかもしれない。
出てこないのかもしれない。
先にネタばらししてたら実用性が薄れるしな。
凄く有名な言葉に異議を唱えていくスタイル。
諦めたらそこで試合終了ですよってあるじゃないですか。
あれ俺に言わせたら絶対嘘なんだよね。
というのも、諦めたら試合終了っていうの自体は間違いじゃないと思うんですよ。
でもそれはなんというか、当り前すぎて1=1と言っているように感じるんですよ。
個人的にですけど、3-2=1くらいの段階で言って欲しいわけです。
つまり、「諦めたら」よりもはるか以前の段階で試合は終了しているんだ!!
ということなんですけどもね。
諦めたらどころじゃないよ、ちょっと難しいかなって思ったくらいで夢は終わるよ。
しかもこれは意識的に思わないようにしても意味ないから。
本心から一瞬でもそう思ってしまった時点でもう終わりだから。
そこから巻き返すには同じく本心からいや絶対出来る!くらい思い直さないと無理だから。
試合に流れがあるっていう現象がコレだと思うんですよ。
そもそも流れに左右される試合って何だよって話なんですけど誰しもが感じる。
その時点では諦めてはないんだよみんな。
でもコレこのまま点入るかもなって思っちゃってるんだよ。
それが駄目なんだよ!
それをしないからこそ最終的に夢を掴むことができるんですよ。
その証拠に俺はこのブログはもう更新できないかもなんて思ったことは一度もないし、
だからこそこの記事が生まれているわけではないかね?
お前が諦めるまで試合が終わらないと思ったら大間違いだ!!
本来考えるべきだったはずのことを投げ捨てて物思いにふけってしまうことがあるよね。
私は今虚言の季節の固有結界を発動させ、こうして過去に帰ってきました。
まだ2月だって、さっきまで同年の10月にいましたからね。
半年以上も時間を遡行してきてしまいました、一瞬にして。
そうしたらなんかこの枠がたまたま空いていて、顔を出すことができたと。
というのは冗談で、なんとかして記事を埋めてくださいと頼まれたので出てきてやった。
…何が冗談なのか、もはやわけがわからない。
これは読者の代弁である。
まあこうやって各期間に1ヶ月毎くらいに遡ってくれば効率よく記事が埋められるという話。
だってよく考えたらこの記事、まだ何も話してないに等しいのに相当話した感あるよ。
といっても10行程度なんだけど、何も言いたいことがない時に書く10行は相当なものなのよ。
何しろこの記事の持つ意味というのは、
虚言の季節の中では時を遡ることもできるということを証明することだからね。
この記事が公開された時点でこの記事は2月のものになるわけですし。
そこにきて記事の著者がさっきまで10月にいたとか言ってるとしたらそれはもうね。
…それが真実であることをどうやって証明するんですか?
事実に証明は不要。
10月にこの記事を書いたことを知っている私と、2月の記事として読む読者がいる時、
私が10月から2月の記事を書くという時間遡行を行ったことは紛れもない事実なのだ。
ん、でも今仰ったとおりなら10月に書いたんですよね?
10月から2月に遡ってきて書いたのとは似て非なるものじゃないですかそれ?
そこはユニバーサルメルカトル図法でなんとかなるから。
あー、それあれでしょ、ポリクロロジベンゾパラジオキシンの奴でしょ。
そうそう、あと必要なのがイングヴェイ・J・マルムスティーンズライジングフォースね。
さてはそれをジャン=ピエール=ポルナレフするんですね?
見た目にこだわるならハインリヒ・コルネリウス・アグリッパも欠かせないね。
おい!さっきそこにセキスイハイムがいたぞ!
なに!!みんな見に行こうぜ!!
わー!!
そして誰もいなくなった。
お前ら、黒を使いこなせる人間になろうな。
黒を使いこなすとはどういうことか。
別にひねっていません、今回は。
少しだけ、部分的にでもいいから上手く描けるパーツを持てばいいと言っている。
そうすればあとは全部黒塗りでそれっぽいシルエットを作っておけばいい。
その部分は見る側の人が勝手に都合よく解釈してくれるから。
この部分がこんなに上手いならきっとこの黒い部分には凄いものが隠されてるに違いない。
そんなことは無くてもそう思ってくれるから大丈夫。
わかっててあえてやってると思わせればこっちのもの。
黒とはそのために使えば最大限の味方なり。
むしろ黒なんてその程度しか使い道は有りません。
黒を使うと思ったならばね。
線を引くことは黒を使うことにはならない。
それはむしろどちらかといえば白を使うことに相当する。
明度暗度というがあんなものは全部明度なんだ。
どれだけ白いか、光の量の話。
黒く塗りつぶした中に少しだけ白を入れると黒い服が描ける。
別にその白は輪郭を形作る線でなくてもいい。
光が反射するとした部分を白く塗るだけでそれ相応の技術があれば残りの形は見えてくる。
あとはどれだけ反射する部分が多いかの話で、それらはすべて白を使った表現だ。
黒が線でしかなくなるほど白い部分が多かったというだけの話だ。
難易度と同じだね。
あんなもの単純に難度だけでいいんだ、難度が低ければ易しいことになる。
こんな説明じゃ理解できないだろうから、優しい私は別の解釈も用意してある。
黒で線を引くわけだけど、それは黒という色を使った訳ではないんだ。
あくまでもそこで使ったのは形であって、色ではないんだ。
だって赤だろうが緑だろうが同じ形の線は引けるもんね。
ただそこに見えてくるものの印象が少し線の色に左右されるかな?程度の話。
私が言う黒を使うというのはそんなちんけなものじゃないよ。
黒という色そのものをちゃんと使うんだ。
黒とは闇、闇の先には何があるかわからない。
つまり黒は「直接は何も見えなくても何かがそこにあるのかもしれないのだ」と、
そういう状態を表す色だということを人間は本能で理解しているわけだ。
これを利用するのが黒を使うことだと私は言いたかった。
最初からそう言えばよかったね。
でも全部黒く塗りつぶしただけじゃそれは黒でしかないわけ。
白をある程度使わないといけないわけ。
だからそのある程度使う部分だけ上手く描ければ良いんですよってこと。
例えば手だけ物凄く上手く描けるようになればあとはマネキン程度のシルエットでいい。
「顔なんてどうでもいい、無くていい顔なんて」の精神。
描きたい部分だけ描いて、あとはおおまかな形を全部黒く塗りつぶしていく。
塗り終わってふと紙を見ると、なんと絵が1つ完成しているではないか。
また1つ、絵を終わらせてしまった…
その昔、「バンパイアドール ギルナザン」という漫画があったわけだ。
俺はその漫画を読んでいたわけだが、その中に広島弁を使うキャラが出てきたわけだ。
広島には親族もいるし、ある程度は広島弁に対する知識もあったわけだ。
でもどうしても違和感を覚えてしまった表現があったわけだ。
それが「~のいね」だったわけだ。
「あるのいね」とか「ないのいね」とか言ってて意味不明だったわけだ。
「わけだ」って最後につけるゲームをやめろ!!
で、親族からもそんなこと言ってるのを聞いたことがなかったし、
これは誤って伝わった実在しない方言なんじゃないかと思ってたんだ。
でも最近になってその方言は実在するということを理解した。
今の現場に派遣で来てる人がこの方言を使っているわけだ。
おーい分田さん、なんかよくわからんが呼ばれてるよ!
はいはーい、なんでしょうか?
貴様のことなど知らん、カエレ!!
その人は「~ですいね」って語尾によくつけてくる。
最初の頃は使ってなかったから、多分これはある程度砕けた表現なんだと思う。
ある程度お互いを理解して気を許せる仲になった相手に対して使う的な?
中国語で言うと疑問形が「~マ?」から「~バ?」になるみたいな感じ。
中国語を習ったことのない奴を置いてけぼりにしたところで。
ちなみに私は気を許すと言ったんだ、木を揺するとは言っていない。
厳密には気を許すとは言ってない件について
気を許せる(気を許すとは言ってない)
ニュアンスで察してくださいという部分が結構な割合を占めていたことは否定できない。
つい読者に対して気を許してしまったようだ。
許してくれた読者に対して言わなければならないことがある…ありがとナス!
あくしろよ
というわけで、「ですいね」と言ってくる奴は広島県民である可能性が高いということだ。
広島県民特有の語尾
ちなみにその派遣の人は島根県民だ。
これもうわかんねぇな
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